「建築家」というといかにもカッコよいと思うかもしれない。
高橋尚子さんの金メダルも山下の無敗も、察するに、日頃の厳しいトレーニングがあったればこそのこと。 無敗の山下とて投げられる稽古をしなかった筈がない。いかにして投げを食うかを練習せずして、いかに完勝するかをマスターできる筈がないからだ。
建築家の華やいだ表ての裏にはやはり、雑多の面倒や苦しみがある。 ああ間違えた、やり直しだ。いやどうも、こっちの方がいい。どうもこれはまずい。切り、刻み、丸めて捨てる。しめきり前には修羅場と化す。そのドタバタの蔭から、一応の試作品としてお客様の前に陽の目を見せることになる。 さも、なんでもない、簡単なことだと言わんばかりのすまし顔で、ねぎらいのお言葉も(もしあったら)受け流すわけだ。
だから、華舞台ばかり見て、ああ建築家になりたい、などと思わない方がよい。 こうした見えない努力に対価を認めてくれるお客様は我国では少ない。 必然に、決して羽振りのいい生活は期待できないし、だいいち、例えば建築材料を探し廻ったりのばかばかしい仕事や、現場で泥まみれになる気がなければ、とても責任の果たせない仕事だ。
さて、その、まだキレイな方の一端をご披露してみたい。出来たものは何てことなくても、結構面倒なことなのだ。
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