ストーン・クリエーター 鈴木正行の仕事 3                  


丸石ビルエントランスホール

 獅子像のクローズアップ
                               
丸石ビル-近世ロマネスク様式-のこと

現在の道路に面するエントランスは実はメインではなかった。最近まで洋服店のはいっていた本館第1期工事部分がメインで、竣工時には太洋自動車のショールームであった。道路とはちょうど裏面にあたる建物南面側は、建築当初は龍閑川に面していたという。船が行き来できるほどの川幅があったとみえて、当時まだ、船が主要な交通機関としての地位を保っていたとすれば、実用から観光へ、そして末期頃には洒落筋(?)の連中を精々運んだものだろう。それは、次のことからも窺える。

その、川に面する外壁には船客の目を楽しませたであろう石彫の4頭の獅子(ライオン)像が据えられていた。行き交う粋な連中を見守る守り神としてしつらえられたという。このビルのオーナー、先代の丸石自転車社長の、これまた粋な計らいであった。

この川はすこし下流で江戸川へ合流したようだ。時代が下って水路は埋められ、隣接建物が建てられた。現在の道路からのエントランスは石膏レリーフの格天井(ごうてんじょう)がボールトの曲面をなして客を迎えるが、この構えは後世の改築によるものだそうである。元はもっと美しく彩色されていたのを、戦時中の炊き出しの煙で見る影もなくなったため戦後白色に塗装されたものらしい。



 
現在のエントランス左右2体の獅子像は、川に面してあったあの4頭のうち、2頭を移設したものである。残り2頭は館内倉庫に保管されているらしい。石工の鈴木氏によれば、この夏(2002)、その2頭も道路側にお目見えする予定だそうである。

1階周りの彫像群と石の壁の材は、播州産黄龍石(おうりゅうせき)玄関周りのレリーフは赤龍石と聞くが、兵庫県(播州)黄龍山(きたつやま)の周辺で採れる凝灰岩、黄龍石(きたついし)ではないかとも鈴木氏は言う。龍山石(たつやまいし)の方が名が通っているらしい。今は宝殿石ともいうのがそれだ。とにかく、鈴木氏はその、モゲた部分をあちこち修復している。赤龍石と言っても赤いわけでもないところをみると、赤穂の赤だろうか。

建物の方は、昭和4年から6年にかけて建築されたという。本館の聖人像は眼が抉られているだけであるが、本館後期分の方はちゃんと眼がついている。両方を見比べてみるに、どうやら作者は1期2期それぞれ別人ではないか、と鈴木氏は見ている。それはそうと、建物は三菱地所設計部から独立したばかりの山下寿郎設計事務所の設計により、竹中工務店で施工した東京進出第一号ビルであるとか。ちなみに、我が国初の超高層ビルである霞ヶ関ビルを設計したのは山下寿郎設計事務所と構造は武藤研究室で、その時担当したのは台湾の「郭茂林(カクモウリン)」(鈴木氏言)だそうな。霞ヶ関ビルの方の施工は鹿島である。