第1章 古代論
古代論――科学のあけぼのと天文学
人類の発生と歩み
古代人の頭脳が現代人と同じレベルに達したのは、サピエンスであるとされる。今からほんの一瞬だけの過去である。人の平均寿命が100歳だとすると、約400人分の年月にすぎない。そのころからわれわれの頭脳はほとんど進化していないとわたしには思われる。もちろんそれは、霊長類である人類の元の誕生が250万年昔のことであるとした場合の、その2.5mの物指からすれば8㎝であると表現することができる。生命分子が誕生したと推定される40億年の乗るスケール45m(地球誕生から)の目盛りで言えば、最後のわずか0.25ミリの間に、そのサピエンスから現代人までの文化が築かれた。……中略……文字を発明したとき、人類サピエンスは昏睡から覚醒した人のように、そこから宇宙の進化を記憶するようになっていった。そして、それ以前の記録(記憶)がない。だがすでに現代人並みの知能を持ち、仮に現代の学校教育が施されるなら、高等数学も理解できただろうと思われる。
古代哲学
神は人類に、なぜこうも驚異的な可能性を与え給うたのであろうか。わたしは人類が“科学的な”見方・考え方をするようになったのは紀元前280年ぐらいからではないかと思っている。いま“科学的な”と呼んだのは、真に自然の起こす現象の説明、したがって実証主義的思索を指している。それゆえ、それ以前のことをわたしは古代と呼び、これから科学的発見例を見てゆくにあたって、人類文明のなるべく初期のものから、その古代を見直しておきたいと思う。……中略……
発見の歴史
確かな理性が不動の発見をする
紀元前280年 天体の大きさと太陽中心説 アリスタルコス
このような天才を科学的発見者としてまず初めに引くことができようとは、なんと喜ばしいことか。 その人の名はアリスタルコス。その国はギリシャ。
人がいだく“常識”のおよそは貧しく、“真理”はいかに想像を超えるものであるかを心得ておけば、いちおう科学者としての幸運の網が準備されているといえよう。冷静な理性こそが、“何かに”気づくことができる。分りきってる、と言わんばかりに眠りこけている常識に対し、毅然とした確かな推理をもって臨めばおのずとよい発見へ導かれることができよう。もっぱら権威に盲従し、固定的な観念や常識から離れて考えてみようとしない人が新しい真理を見つけるはずはない。偉大な発見に出会いたければ、少なくともそれに必要なことは、彼らの群れから出てみることだ。その恰好の手本が紀元前にすでに見られる。ギリシャの科学者アリスタルコスを挙げようと思う。彼よりのちの権威たちが結集して彼を否定し、数百年にわたって自信たっぷりに誤っていたことが、やっと近世になって正された。その正されたとおなじ考えを、紀元前数百年も前に示していたのである。悠に千年を超える年月を要したわけだ。
ギリシャの哲学者アナクサゴラスが太陽は南ギリシャほどの大きさの岩の塊であると述べて、アテネの保守的な考え方をする人々の反感を買い、……中略……そんななか、ギリシャの天文学者アリスタルコス(Aristarchus 280B.C)は初めて、天体の大きさを決定することを試みた。驚くなかれ、紀元前280年ころすでにアリスタルコスは月食でみせる地球の影から、月は地球の3分の1ほどの大きさをもつ天体であると推定した。また太陽が巨大であることから、地球ではなく太陽が宇宙の中心であり、地球を含む他の天体が太陽の周りを回っているという考えを抱くようになった。太陽というものは実体のない光の玉とみなされており、かたく重い地球がその周りを回っているという考えは、当時の人々には馬鹿げたことにみえたのである。彼の冷静にして客観的な、否定しがたい合理性に、案外、世間は冷たい反応を見せたのだろう。
思索からめぐりめぐった発見
紀元前250年 アルキメデスの原理
《ひらめき》が天の恵みとなった例は多いが、長い思索の末にそれは訪れる。この人もギリシャ人だ。……以下略……