7章 現在における謎

疑問と異論
2014年3月ころ、Ⅰさんからお手紙を頂戴した。

――「M. Y.さんからの“ビッグバンに提起された120億光年かなたの光はどのような経路を経てきたのか”については、自分はこう考える。

光が自由に走ることができる宇宙の晴れ上がりのとき、宇宙は銀河系銀河よりずっと大きかったようだ。将来地球ができる位置をその真ん中ぐらいと仮定して、そのとき宇宙のあらゆる場所であらゆる方向に光が走り出し、将来地球ができる位置に向かって全宇宙から光がやってくる。その後も宇宙は膨張して行くが、近場から出た光は我々を通り過ぎ、遠い光は120億年経ったときやってくる部分の光を今捉えたことになるのだろう。


―❖―Ⅰさんへの返信
 私も数学は得意でもなく、好きでもありません。物理論議においても、例えば運動速度υ1で動いている質量m1の物体1個について、運動量はm1υ1別に速度υ2の質

m2があればm2υ2でありましょう。運動エネルギーについては(1/2)m1υ12

(1/2)m2υ22ということになります。

別に速度υ2の質量m2があればm2υ2でありましょう。運動エネルギーについては

(1/2)m1υ12(1/2)m2υ22ということになります。

 別に速度υ2の質量m2があればm2υ2でありましょう。運動エネルギーについては

(1/2)m1υ12(1/2)m2υ22ということになります。

仮にm1m2が弾性衝突したのちに速度がυ1´、υ2´になったとすれば、運動量保存の法則は
    m1υ1m2υ2 m1υ1´m2υ2´ …①
エネルギー保存則は
    (1/2)m1υ12(1/2)m2υ22 (1/2)m1υ1´2(1/2)m2υ2´2 ……②

しかしm1m2が衝突によって合体し速度Vとなったとすれば、運動量保存則は
    m1υ1m2υ2 (m1m2) V ………③

でありますが、エネルギー保存則は、速度の2乗がベクトル量でなくなるために、必ずしも
    (1/2)m1υ12(1/2)m2υ22 (1/2)(m1m2) V 2    ………④
とはなりません。なぜなら、……中略……
    P=∑mυ
    T=∑(1/2)mυ2
 と書けばシンプルになります。便利に表わせるわけですが、目には難しい数式に見えてきます。そうやって各粒子に波動関数を与えたものが量子力学というものでしょう。ボイル・シャールの気体の力学と本質的には同じで、確率論に過ぎないと思っています。これは数学にほかなりません。
 一階上の変化率がやはり同様な本体になるという便利な自然数eχがあります。三角関数についても、正弦の微分が余弦になり、余弦の微分が正弦にと交互に入れ替わります。これも数学が見つけたものと言えるでしょう。

 運動方程式をこのような波動関数として与えておけば、困難な微分や積分が容易になります。しかし、自然界の現象を波動方程式で与えたものは、正しく自然の動きを表わしているかと言えば怪しいものですね。これらは単純な統計力学であって、粒子間で互いに及ぼしあう分子間力がどうなるのか、互いがどんな場の作用をし合うのか、その粒子がいまどこにあるのかは、まったく考慮されておりません。
 ですから、方程式を変形していって、これに物理的な解釈を加えるという方法は、必ずしも自然を正しく理解したと同じであるとはいえないとわたしは考えているんです。


ビッグバンにはたくさんの矛盾が 
 ところで、120億光年の遠い星からの光はどのような経路を経てきたのか、と私が問いましたのは次のような事実があるからです。
 2005年2月18日の朝日新聞に、《127億光年かなたの、生れて間もない銀河団がハワイチームによって観測された》というニュースが出ました。以下は、私のかつての筆稿から引用します。
――《すばる望遠鏡を用いてハワイチームが、0203にかけて観測、くじら座方角127億光年かなたに、(質量100分の1からすれば)生れて間もない銀河団が見つかった。「赤く光る6つの銀河が直径300万光年の狭い範囲に集まる」という。
 国立天文台や東京大などのチームが2月17日発表。宇宙年齢137億歳とするのが有力とされ、そうすると、「宇宙誕生から約10億年後の(若い)姿を捉えていることになる」》という記事になっていた。これはどうも宇宙のビッグバン起源説に基づくらしく、宇宙年齢137億歳とすれば、127億光年の遠くにあるものは、宇宙誕生約10億年にして誕生した、今では年配者というわけらしい。
  すると、妙なことになる。……中略……いまだに天動説と変りがなく、宇宙の中心は地球であるかのようだ。宇宙年齢が137億歳だとすると、光速で膨張したとしても、宇宙の半径は精々137億光年である。発見された星が宇宙誕生10億年後の古い星だとして、誕生間もないとすると、127億年前に誕生し、そのとき、地球から127億光年も遠い彼方で生れたことになる。つまり、宇宙が誕生したころ、すでに現在の宇宙の端ふきんで、この銀河団は生れたことになる(現在図参照)。これは宇宙のビッグバン説に、真っ向に矛盾する。127億年後に知った、「誕生間もない銀河」だとすれば、ビッグバンによってではなく、その中心から127億光年も遠い場所で誕生したとしなければ辻褄が合わない。――

 観測された光は霧のような光ではなく、銀河団の姿が明瞭に像を結んでいるわけです。127億年前の銀河団の実体から出発した光を望遠鏡の像として見ているわけです。120億年前から現代まで、ビッグバン初期にその星から光が出発したときの状態から現在までの図を、光がどこまで進んでいるかを含め1億年毎のコマ送りでキネマを描くことができますか?私には描けません。

 わたしは物理をなるべく数式を用いない方法で理解したいと考えています。正直申しまして、フリードマンの方程式というものを学んでもいませんし、学びたいと思ったこともありません。空想ごとを数理論化することは危ないと思うんです。
 また、アインシュタインの宇宙方程式というものを(一般に言われるように)“美しい”と思ったことは一度もありません。
 これまでにも、物理論をお話していて、難しいと言われました。それは、一般には学業を終えたのちに数式に接する機会が少なく、また必要もないため、なにかの数式らしいものを目にしたとたんに、すぐさま「難解」と感じるためであろうと思うようになりました。それで、説明のできる限りは数式でなく図と言葉を用いて記述するように心がけています。

ークマター (暗黒物質)

 ダークマターに関する疑問が寄せられている。わたしはあまり詳しく調べてみたことはない。ダークマターの正体の一部は幻子雲であろうと考えている。光は空間に重力場あるいは磁場がある限り波及しようとし、光速cで走ると考える。ついに重力場がゼロに近くなれば光としての振動は伝わらなくなり幻子雲となって波動は消える。この幻子雲を人はダークマターの一部として観測しているものであろうと筆者は考えるわけだ。存在の正体が謎めいているのはそのせいかもしれない。

わたしにも言わせて
 宇宙が冷え、水素イオンが原子核と結びついて水素ができると言ったり、再びイオンに電離していると言ったりと、自然科学としては節操がなさ過ぎないだろうか。
 わたしにも言わせていただくと、まず、ビッグバンの原初の玉はどこから来たのか? この膨大な宇宙の、この膨大な質量を宿していた原始の小さい玉、その最初の直径がパチンコ玉大であろうと、ピンポン球くらいあろうと、1メートルの直径であろうと、あるいはたとえ地球大であったにしても、そんなことは問題にならないほど超高密度な玉が、どこから現れたのかも不明のまま、そのビッグバンから始まるというこんな空想論から、厳密なはずの科学論を始めようというのは、どう見たって、何たる矛盾、何たる非科学であろうか。
……中略……


輻射・吸収の本質
 荷電粒子はその1公転によって1周期の電磁波を生ぜしめるものであると考えられる。
 この電磁波は電場や磁場あるいは重力場の中を伝わり、その波が出会った物質を構成する分子あるいは原子あるいは素粒子たちを共振させ、すなわち熱に変わる。要するに、粒子たちを動かした相当分の電磁波エネルギーが消滅し、熱エネルギー(粒子運動エネルギー)に変換する。物質に出会って熱に変わるまでに空間の物質場を伝わる電磁波(光波より波長が長い)が熱輻射である。

――熱吸収と放射のメカニズム――

 熱吸収と輻射はいかなるメカニズムで起こるのであろうか。わたしはこう理解している。光を浴びた物質の原子は外電子が元気になって発熱する(図1-上図)。これが熱なのだ。粒子の運動エネルギーはいずれ運動ポテンシャルを落とし(図1-下図)、その下落分は場の変動エネルギー分つまり電磁波になって発散(二次輻射)し、原子自身は冷却する。これが黒体放射である。宇宙空間に存在するこの全ての熱平衡が宇宙の持っている背景放射である。わたしはそれがビッグバンの残光であるとは考えない。そうではなくて背景放射は宇宙空間から生じた場の振動エネルギーとして存在するものであって、これに相当する負債(負の場)が重力場と対を成す場として存在し、そこへ熱吸収され再び幻子雲になるというメカニズムになっているのではないかと、推測する。幻子雲が寄り合って重力場を形成するようになり観測されるものがダークマターの正体であろう、というわけだ。

わたしの物理学論考

天地創造にも法則は適用される
……神でないわたしたちは、いろいろな科学的対象に、自らひらめいたある考えのひとつを当てはめてみて、どの場合にも矛盾に陥らないなら、ある程度その見付かったと思われる規則性のことを、少なくとも当分のあいだ自然法則と理解しておいてよいはずです。その間、そうしてよいかどうかを、常に天に問うのです。

 粒子と粒子が出会って消滅する。そんなことはないでしょう。消滅したものがいかに再び存在し得るでしょうか?“再び”でなくてもですが。“無同士”はもちろん、“消滅した同士”は、もはや出会うこともありますまいに。
 また、粒子たちの片方の数が余って、消滅しない粒子として存在するものが宇宙を造っている。そんなばかなこともないでしょう。ではその余った分の粒子たち(幸せにもパートナーに恵まれて間引かれることになった粒子たちも、ですが)は、いかにして存在したの? “存在の謎”は解かれていません。
 最近のノーベル賞によれば、粒子たちに、あとから生まれたある種の粒子が質量を配る。そんなばかなこともあるもんですか! 他人に質量を与えられるほどの粒子が、いかに、なぜ、後になって誕生しえるのでしょうか?
 ビッグバン宇宙誕生説。そんなこともあり得ますまい。銀河系の膨張・収縮や星の爆発なら分からぬこともありませんが…。
 120億光年かなたの星が見付かったが、宇宙膨張理論によれば、ビッグバン初期の状態がその星の観察から看取できる。なるほど、今見えるのは120億年前の姿ということになるわけですが、現実的イマジネーションとしてはなんとお粗末なことでしょうか。では、いま望遠鏡で見えているあの星の光は120億年も前に星から出たはずの光で、そのころはまだビッグバンの中心付近にあったことになります。つまり中心付近から出たはずの光が、地球より120億光年も外側の外周付近(望遠鏡はその方角に向けてあります)から到達して見えていることになります。光はどんな経路を経てきたのでしょうか
 光速不変もまた、あり得ますまい。なぜなら、光はcという有限な速さを持つと実験で観測されました。cという確かな値が得られたからには、それは何かに対する速さにちがいありません。その光がどこを走るのかも究めないで一気に“不変だ”とはあんまりです。なるほど地球は太陽に対し公転しているから、地上で見る光速は方向によって違ってみえるにちがいありません。そう考えるのはもっともです。

 観測結果はどの方向でも光速cを示すことに驚いて、困って、とうとう超有名なある人の意見によって“光速は不変”と決められてしまいましたが、地球自体がエーテルを持っているのかもしれないと、そのときなぜ考えてみなかったのでしょうか エーテルが太陽に対して静止していると仮定できるのなら、地球に対して仮定してみてもよかったはずです。考えとしてはよっぽどそれが普通でしょう。そうしなかったのはなぜでしょうか。

新しい見方
 ――光速を測定したマイケルソンが前提としてやったことを喩えて申しますと、χノットで走る船舶の上で玉を転がせば、船の進行方向とその逆向きとでは玉の速さは違うであろう、と予測したのと大した違いはありません。玉の速さがどの向きも同じであったことに学者たちは仰天していますが、陽が落ちれば暗くなるのと同じくらいに当たり前なことです。
 実験台をどんなに頑丈に船の甲板に取り付けようと、台が水平な限り、玉の速さはどの向きでも変わらないのは船上の誰が見たってわかります。つまり、玉が転がされる媒質たる甲板は目に見えますが、地球が持つ光のエーテルなる重力場は見えなかったに過ぎません。玉にとっての甲板にあたるものは、光にとっては重力場であるのだと、ぼくたちは気づいています。
 だとしますと、地球の重力場から離れた宇宙空間で、同じマイケルソン実験を行えば、その装置は太陽系に満ちている太陽の重力場に対して公転運動をしながら、こんどは間違いなく方向に従った光の相対速度が観測されるでしょう。膨大な質量をもつ地球の重力場とは違って、観測装置の周りにつくる自身の重力場は無いに等しい(万有引力係数はきわめて微弱なためです)くらいですから。

サニャック効果補説

 マイケルソンによるMGP実験に類似したサニャック実験というものがある。これは、光は慣性系に対しての光速を持つ、という前提に立っている。
 わたしの論文『光速の背景』の中で述べる論旨では「サニャック実験に述べられる主張とは無縁である」と明記してある。クリムゾンインタラクティブ社による投稿支援をたまわった際に、査読の先生から、サニャック実験について触れておくべき旨が提示されたからである。貴重なご意見であった。論文中の「サニャック実験云々」という挿入はこれに基づくものである。また、別の先生から、無縁ならなぜ載せるか?とも指摘された。そこで、サニャック実験は本論とは無縁であることを一旦はご回答したものの、一般読者のためにも、誤解なきようMGP実験との差異を丁寧に説明しておく必要を感じ、次のように回答書を差し上げた。

――サニャック効果
 回転するリング干渉計による1911年のHarressの実験と1913年のSagnacの実験は(その詳細を私は知りませんが)慣性座標に対し回転するリングに沿って、2分されてそれぞれ一周する光の、入り口から出口までの時間(実は距離)はリングの回転方向の光と逆向きの光とでは時間差(実は距離差)が生じる、というものです。これは当然です。

 MGP実験――光のエーテルは重力場であることの証明
; the field is Ether of Light……中略……(現物図書をご覧ください)

Sagnac’s experiment――MGP experiment との違い
(これも現物図書をご覧ください)