第8章 発展への試論
宇宙誕生の試論
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宇宙とその物理
宇宙と生命
脱け殻を“無”の中に脱ぎ捨てて起こった“発生”という出来事。その抜け穴と発生とは同時に存在し、それらは悠久の時間の流れに乗り合わせます。
まことに現在、宇宙に満ちている絢爛たる物質や、それらが顕わす驚異の形姿は、たしかに現実の存在ではありますが、全てはそれより以前の宇宙の姿から変化してきたもので、一度も不連続な出来事は起こっていません。
それ故、これら全ての始まりという瞬間の時刻は不定であります。宇宙の全ての空間で、どこでも新しい組み合わせとして誕生し、元の組み合わせは、それと同時に消滅して新しい組み合わせの中に生きています。エネルギー貸借の原理に基づきつつ、その転生(物質の誕生)の際には、時間や空間という要素は存在しません。いわんや相対論にいう“宇宙に結びついた時間”といわれるものはそもそも存在せず、あらゆる変化の厳粛な前後関係が存在するのみであります。いいでしょう、われわれも、それを時間という概念で受け容れましょう。
1. 発生と自己
人は宇宙から生まれ、いつの間にか自意識を持ち、宇宙の巧妙な神秘を知り驚き、宇宙がどのようになっているかを認識するに至った。宇宙自身が自己を認識するようになったのである。
2. 生命
生物とは何者か?
生命は物質発生と宇宙の自己認識とを橋渡しする。
3.人間と宇宙
生命は完成宇宙のミニチュア版である
4. 光
光こそが生命である。
生命の素は光にある。光そのものの変化(発電や磁場の生成や熱ほか)はもとより、物質の結びつきを促進したり変えたりして、植物や動物組織を芽生えさせ成長させる。光は神の息吹である。なぜ光は生命を育むのか?
5. 幻子論的わたしの概念
――これまで論考してきた結論からすると、人々が概念として持っている物質というものはそもそも存在しない。存在したのは“場”という空間を形成することになる原初性質の発生である。
――したがって物質誕生は不要であって、時間は存在しないし、必要でもない。変化だけが存在し、そのことと人の概念がつくり出した時間とは無関係である。
――原初性質(幻子)のサイズは、その“発生”の瞬間にその“場”が外縁で薄くなり、その作用の存在が不明確となるまで離れたところで、その場の持つ無限遠である、として想定されるだけである。
物質の元となる“場”は、他の場との相互作用から発生する場合と、無なる空間に光の通過などによって幻子として誕生し、あるいは未知の刺激あるいは状況によるバランス崩壊によって幻子として発生する、と想像している。
質量出現の謎
前章のような推論によれば、グループ団子たちが合体するたびにそれらの重心の持つ質量は増大する。質量の増大は団子のつくる重力が大きいものになることを意味し、次第に引き締まってゆくであろう。
さて諸君、これが進化してゆけばどうなるであろうか。おそらくそれは、さらに著しく小さい粒子にまで引き締まってゆくだろう。こうして、あの素粒子の材料である微細な粒子となる……
……中略……
ここまできてわたしは急に、電流の抵抗がゼロとなる超電導の空間のことを思い出した。場で満ちた空間での絶対零度とは、+の場の和と-の場の和と穏やかにつりあい、揺れがない状態である、とわたしは理解している。電子はそこを滑らかに通り抜ける。場の釣り合った状態は静かに均衡しているが、“無”ではなくて、実は“存在”しているのだ、と理解する。 これは空間に“質量”が潜在していることを暗示している。質量の存在の起源すなわち物質存在の起源は、なぜその陰陽の場が生じたかに帰することになる。
もしそれを宇宙で最初にただ1つ出現したとすることは、それがそのとき無限大のサイズを持っていたことになり、そんなことは不可能に思われることから、否定されなければならないだろう。
物質ははたして実体か?
先ほど場の存在は物質の存在と同じであろうことをほのめかした。これまでのところ、われわれは「質量は重力場を持つ」と言ってきた。通常われわれが物質とするものは質量を持ち大きさがある。それがやがて大地を構成し、生物の体まで形作っている。そしてわれわれは自然科学によって質量の量は不変であるとする「質量保存の法則」を受け容れている。もっとも、質量はエネルギーに変わりうるという考えを、一般に持ち始めている。が、ここに当たって定義されるエネルギーとは、“形あるものではない”ことを特筆しておかなくてはならない。
物質の前駆体――見えざる現象としての存在
物質はいかに誕生したのか
一等最初にぶつかる矛盾が、かの「質量保存の法則」だ。その法則によれば、この宇宙が質量で満たされるという事実が夢ではなく本当のことだとすれば、この宇宙の誕生の前にも質量が存在していなければならないことになる。
すると、わずか1グラムの物質でさえ、無から誕生することには理性的な説明をつけることができない。
翻って、質量の存在の前がいわゆる物質ではないものに起源があるとすれば、物質の誕生は起こらなかったことになり、法則を壊すこともない。そこで、前にも考えたように、物質ではない存在、すなわち質量もなく大きさもない、いわゆる通常われわれが物質と認識している状態ではない存在こそが源泉なのではないかと推察してみてはどうであろうか。例えば、磁場というような“場”として存在したと考えるわけである。
仮に存在という概念が物質に限られるとするなら、そのときの物質以前の状態は“存在”しない、“無”ということになる。一番初めに“無”ではない、と言ったのはこのことである。物質誕生を説明する無の空間は、物質としては無であったが、現象としては何かがあった空間なのである。
してみれば、今のぼくたちの知識からして、物質とはこれまで物質として意識してこなかったもの、たとえば“場”と同じものなのではないか。そうして、新たに、ではその“場”はいかにして誕生したのであるか?という疑問に置き換わる。
実はわたし自身にも、この段になると説明が見付からない。後世の研究に期待するばかりだ。しかしながら、ぼくらも、できる限りのところまでは推測を試みよう。――物質は場と同じものである。
すこし前に、それを示唆する現象について、考慮してみたことがある。それを思い出していただきたい。
トイレットペーパーを使い終わると中空の芯が残る。これに導線を巻いて電流を流せば、どんなことが起こるかを論じた。棒磁石はいかにも磁荷と云う物質(物体)から磁場がつくられているかのように観察される。棒磁石というのは磁気を帯びた鉄の棒であるが、ペーパー芯に巻かれたコイルは鉄心を持たない中空な磁石となっている。その証拠に、その中空コイルは磁針を一方に向けさせ、磁性金属を引きつける。そしてコイルの巻かれた中空な磁石は、引きつけた金属をそのまま穴を素通りさせてしまうことができる。
棒磁石という実体はなくとも、磁性(磁界という場)は存在することができることを、自分のこの目で確かめることができたのだった。
……中略……
3 物質誕生の種子から宇宙へ
性質空間の誕生
そこでさし当たって、質量とは重力場の凝集したものであると帰結される、としておいてみよう。わたしは“力”の作用する場のことを重力場と区別して“力場”と呼ぶのがよいと思う。質量のつくる重力場は力場の一種である。すると電荷のつくるのが電気力場、磁荷の作るのが磁気力場ということになる。
そこでもし諸君が賛成してくれるなら、……以下略