月の公転
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概略次のように導入?
空虚な空間と見えながら、じつは濃密な重力場が存在するという、“自然界の最大の謎”に魘されるようにして葦郎は神田の古書店街をさまよっている。
いつしか極楽堂(仮名)にいる。今日は夫人が番をしている。夫人は、句会だ、貧困と格差社会問題を考える会だ、何だかんだと通例は忙しく活動している。今日だけは、主人が“石の会”とかいう変な会合に呼ばれたらしい。
「今日は珍しく出かけておりますの」
この夫人は社会問題には熱心である。しかし科学問題にはまったく興味を示さない。重力がどうの、中性子がもっと小さなクォークという粒子からできているのと、夢みたいな話が、「実際生活のどこで役に立つのかしら?」というのが所見だ。
月がいくら兎の姿ばかり見せていたって、ちっとも不思議ではないし、潮が満ちるのもただそれが漁にどう影響するかくらいが、精々わかったらいいんでしょ。その原因が物理学的にどうのと言ったって、「自らの生活にどんな役に立つのかしら」という考えであるらしい。
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そこで、男性と女性の脳の構造的違いを論じる。「女性は(理学に)どうも無理解である…」
なんて、うかつに「女は…」という言い方をすると、問題になることがあるから気をつけたがいい…。などの話を(戯曲にするときには)入れる。
主人の甥にあたる二才もこの話を伯母から聞かされたとみえて、二才は伯母の思想に反抗し「潮汐はなぜ起こるか」の寺子屋を、また企画する。その前に二才と葦郎がカフェで会って、「地球も月の周りを回っている」という話をする。そのあと、寺子屋の集いその三が計画されることにする。
2 地球は月の周りを回っている
陽気に誘われて家を出たものの、慣習とは恐ろしいもので、葦郎はいつの間にかカフェの定席に落ち着いていた。そこへ二才は当り前のように入ってくる。当り前のようにその勘が利くようになったとみえる。しかし、きょうの二才はどこか
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