B   印刷用は省略       不定期便  第57号
 
 不定期便
 57 012718

    反作用同時    ――12.6.29 
 発行
012年7月18日
発行者
熊野宗治
  
 本号は第56号として書こうとしていた。そこへ「ヒッグス粒子見つかる!」のニュースが発表されたため、56号は急遽臨時ニュースとしてコメントすることにした。それで、この号が第57号になった。
 本号をお読みになる前に、まだ第55号をお読みでない方は、ぜひ先にそれをお読み願いたい。とくに「物理学の自由論」のところを。


 さて、相対論は不合理である、とわたしは主張してきた。相対論によれば、重力場の違いによって時間の進み具合が違うという。また、場所によって時間は違うという。とても真に受けるわけにゆかない。
 しかしながら、わたしにも、同時性という点で、まだよく分からない、謎の部分がある。その謎は解けるのか解けないのか、それも分からないけれど、謎解きの取り掛かりとして、「作用反作用の法則は同時か?」というところから、考えてみたい。

 

力学的同時性     12.6.29

 
作用反作用の法則は同時か?

 力学的作用には、その伝達に決まった速さがあるのであろうか?


木の棒でダルマを押す
 ダルマを図のように、木の棒で押してみる。ダルマAと棒とはつけてある。

  


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棒のB端をfの力で押せば、他端では同時にダルマAをfの力で押すだろう。学校で学んだところによれば、このときダルマは、力を加えたわれわれを、同時にfの力で押し返している。このときの“同時”は正しいだろうか? 正しければニュートンの運動の第3法則である作用反作用の法則に適合している。正しいだろうか?
 というのは、棒の長さが1qばかりであっても、Bで加えた力はAに同時に作用するであろうか?

こんにゃくでダルマを押す
 では、棒が木でなく、こんにゃくだったらどうだろうか?

              図2 
 こんにゃくはテーブルに平たく載せられていて、テーブルとのあいだは滑らかで、摩擦はない。こんにゃくの端を槌で叩いたら、叩くと同時にダルマは弾かれるだろうか?

 へんなことを言うようだが、こんにゃくは叩かれる前から存在している。目の前にこんにゃくは存在してるんだ。親愛なる友よ、あなたの結論はどうか? そうなる理由は?
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 さて、作用反作用の法則は、厳密にはダルマAとAに突きつけられている棒がAを突く力fとのあいだで、またB端とB端を叩く槌(作用力はF)とのあいだで、働いている。それぞれ同士が“同時”である。すると棒の中はどうなる? 

宇宙空間では
 こんどは伝達媒体が、こんにゃくや棒といった“物体”ではない場合を考えよう。宇宙空間に浮く地球と星との関係だ。中間にはどんな物質も存在しない、真空な空間だ。
 棒がこんにゃくや海水といった物質の介在する2物体間のように、片方を叩けば他方に伝わる、ということはない。それなのに、なぜ引力は働くのであろうか。
 地球や星はもちろん、質量を持っていて、その質量同士はひきつけあう。そのメカニズムはこうだ。地球の質量Mには重力場が付随していて、その等圧面は球状をなし、どの半径の仮想球面上でも、その単位球面積あたりの場の強さをその球面積全体4πr2で合計したものは、皆等しい。われわれはそれを仮想の重力線で表わし、その本数は不変と考えている。これまでわたしはそれを疑ってみたことがない。つまり、遠方ほど単位球面積あたりの本数(場の濃さ)は1/(4πr2)と小さくなる。これがその距離rでの場の濃度だ。

          

         「谷渡りの木」が見せる放射状のめしべ
 

 この場の中に置かれる他の物体の質量mがその場からうける作用の大きさ(重力)は、場
の濃度に比例するが、その物体の質量にも比例する。これが万有引力の法則だ。
   これは逆の立場でも同じで、その物体のつくる重力場が地球質量Mに作用する力に等しい。結果的に、作用反作用の法則が成り立っている。
 物体mがうける力F
   F=GMr2)×m
 地球Mが物体からうける力F
   F=G mr2)×M
      (Gは万有引力常数。1/4πもこれに含      まれている)
互いに等しい。

 では重力場の存在は有限な速さで広がるのであろうか。
 有限速さだとすれば、光速と同じであろうか? それとも、質量と重力は共にあり、質量とその重力の存在とは同時であろうか?


幽霊重力 ありや?


有限速度とすれば何が起こるか
 天体Aからある空間に及んでいる重力場は、天体Aの質量変化や移動による変化につれて、同時にその空間に及ぶのではなく、ある速さ、例えば光速で伝わるものだとしたら、もしも仮に地球が1ヵ年かけて(1年後に)2つに分かれたとすれば、地球から1光年以遠での地球重力場は、例えば1万光年離れた星には、1年前までの地球として存在することになるのであろうか?

 つまり、地球が分裂してから9999年までは、その星にとって平穏に地球が1個静かに存在しているものとしての重力場の中にあるのであろうか?
 またもし、地球は分裂しない代わりに、星から等距離を保ちながらも横へAから Bへと1光年の距離動いていたとしたら?


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   図3

 1年前に地球Aから放たれた重力場は星Cの空間へ達しているだろう。

図4

 図4は、地球が1年前C空間まで1光年だったAから動いて、現在B点にいることを示す。地球は1年前にAから突然に等速度で動き出したとすれば、地球がB点に到達した現在の瞬間に発する重力場の球は、まだ泡粒ほど小さい。それは星Cには今から√2年経ってから達し、そのとき初めてGという加速度を、星に与えるだろう(図5)。
 図5は地球がBへきた時点に存在する地球の重力場を描いてある。0は1年前にAから発した場、W1は地球が行程の1/2である1まできたときに発した現在の場、W2は2つまり1/4動いたときのもの、…という具合だ。
 

図5


 今の瞬間重力場はこのように分布している。われわれはいまBにいる。

 しかし現在はBからSへ向けて重力場が出発したばかりで、いま1年前にA点から出た重力場W0がCに達している。その加速度はGである。B現在のC方向に向くのでなく、G方向へ、わが重力場はそっぽ向いている。
 地球が星Cに作用する重力場は、1年前のGから、GB方向の重力場たるまで、その向きがこれから変化してゆくだろう。
 地球がいまB点にあるとすると、星では地球が現在ある方向ではなく、1年前に地球が居た方向(Gの向き)に働いていることになる。これが正しいとすれば、運動の第3法則「物体に力を作用すると、同時に真反対の向きへ等しい値で物体から反作用を受ける」に背くことになる。




場の有限速さと同時性、どちらに軍配?

 重力場が質量の存在と同時ではなく、光速で広がるものであるとすれば、作用反作用の法則の“同時性”が成り立たない。飛躍すれば、地球から1万光年離れた星には、地球が仮に今から1年後になくなっても、それ以降の9999年間のあいだ、無なる亡霊の重力場を受け続けることになる。図4がそれである。地球がAからBへ1年間のあいだに移動しても、星への重力場は、それから9999年間、元のAから発する重力場として働き続ける、というわけだ。

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     不定期便  第57号
  移動した1年後の地球から見ると、自分は1光年も動いた場所に居るにもかかわらず、星では地球からの重力場ベクトルが凾frだけ変化するはずの様子を見せず、相変わらずそっぽ向いたままである。地球の移動が10分の1光年であっても同様で、下図のようであろう。

図6

逆に宇宙空間で移動している地球にとって、星から地球に及んでいる星の重力場は、地球自身の変化に伴って即刻、星の重力場からの作用をうける。
  つまり、作用反作用の法則が(同時性も)あたかも成り立っている。それはこんにゃく棒実験の、自分側の端部(A)を見ているからである。実際にはこの場合も、星との同時性は保たれていず、星からと感じている重力場は、星が1万年前に居た地点から及んでいる重力場の作用をうけていることになる。
 つまり星から地球がうける重力場の影響は、星の変化と同時には変化せず、光速で到達するに必要な時間だけ遅れて働き、地球の変化も同様に、星へは同時には伝わらない。地球自身の変化によって地球が星からうける重力場(ただし、これは1万年前に星がつくったもの)は、自身の変化に応じて即時変化する。すなわち、仮に地球の質量が2分の1になれば、星からうける力は即座に2分の1になる。以上は、もし重力場が有限の速さで伝わるものなら、そういうことになろう。

   
  質量と重力場は同一物だ   
                 ――012.7.3  






力場は質量と同時か
 
 そこで、重力場は質量と同時にあるのか、それともある有限な速さ、例えば光速で伝わるのであろうか? どちらが正しいかによって、物理学の道は大きく分かれる。
  わたしは今のところどちらが正しいか、証拠立てて断定することができない。ただ、わたし個人の考えでは、重力場は質量に付随し、質量と同時にある。
 さまざまな事象を観察するとき、矛盾の少ない理解としては、質量とは重力場そのものであり、われわれは重力場の中心を質量として観測している。つまり、重力場の中心を質量として感じ取っている。なぜ重力場が集中する性質を持っているのか。重力場を産んでいるものは何かを究明することが、物質の誕生の秘密を解く鍵を握っているのであろう。

 わたしの理解では、“重力場はある有限な速さで広がりつつある”ものではない。海水がすでにあって、海波はその海水面を海面力学的に(水分子同士の相互作用として)波及してゆくものである。それゆえ、波の進行速度(相互作用)は有限な速さを持ち、海水はすでに存在していて、媒質としての役を果たしたのである。
 光に関しては重力場が海水に相当し、光速が海波の速さに相当する。(重力場は実は電磁波を伝える場として認識をしなおすのが正しいのかもしれない)。海波は水深が大きいほど速く、光は重力場が薄いほど速い。光速は地表での重力場においてc(30万q/秒)であり、重力場ゼロでおそらくほぼcであろう。重力場の大きいところで、cより遅い速さとなろう。



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     不定期便  第57号
 場は光速(有限速度)で波及すると仮定するとき、以上のように同時性が成り立たないことになる。その場合、相対論にいう、場所によって時間の進み方が違うとする仮説から来る、いくらかの現象説明で、偶然結果的に合致することがあるかもしれない。しかし、今考えたことは時間が違うとすることとは根本的に違う。場の伝達速度が有限であり、その値が光速であるとしたばあいであって、ベクトルの向きは曖昧な相対論と違って明確である。
 しかし、重力が無限に大きくなれば光速は無限にゼロに近づくわけではなく、重力場がゼロで光速が無限に速くなるでもない、とわたしは考えている。つまり、光速は重力場に対して一般にcとみられる有限な狭い範囲にとどまるものであろうと考えている。諸兄はいかが?



  冒頭で、本号をお読みになる前に、まだ第55号をお読みでない方は、ぜひ先にそれをお読み願いたい、とお願いした。そのわけを明かしておきたい。

物理学の自由論について
 あの号の後方で述べた、『物理学の自由論』は、親愛なる友よ、いかがお読みだっただろうか? たぶん、真実なことが述べられた、いつになく名文である、とお感じになったのでは…。
 実は、J..ミルによる『自由論』(塩尻公明ほか訳 岩波文庫)から直接引用したものだ。その、1は36ページから、2は39ページから、3は41ページから転写した。
 1では、「政府」を「学府」と読み替えただけで、2や3にいたっては一箇所も語句を書き替えたところはない。J..ミルとその奥様が、丹念に議論を重ねて書き上げられた名著のままである。







   

私的メモ) 銀河の中心あるいは星の中心ふきんにおける重力場の和つまり圧縮加速度は   α=GMiri2
 これはスカラー量であり、あたかも水中における水圧のようなもの。これに対し、方向を含めたベクトル量は
  α= G煤iri/ri)(Miri2
 これは運動加速度である。ちょうど中心では球体の対称性から、総和は0となり、
  α= G煤iri/ri)(Miri2= 0
          (運動加速度 0
 つまり無限大どころか、重力は存在しない。