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印刷用は 不定期便 第71号 |
不定期便 第71号 013年3月23日
迷える物理学 3
特殊相対論の疑問――013.3.9
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発行
2013.3月23日
発行者
熊野宗治 |
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ビッグバンのどこが変であるかをみてきた。この、誤りであるにちがいない理論の下に、素粒子論の成立を可能にさせる空想の申し子、ヒッグス粒子が存在するとされ、これを探すために巨額な費用を投じて巨大な施設、たとえばCERNの粒子加速器が建設されている。
加速器が実用上全然役立っていないわけではない。いろんな物質の組成分析や医療にも、大いに役立っているだろう。だからという訳ではないが、何を研究しているのやら、さっぱり分からない研究に大金のかけられていることを、社会は大目にみてくれている。分かり易い成果を示したい。それも分からぬわけではないが、一般には理解困難なのをよいことに、内縁で、わけの分からぬ物語を造り上げようとしている。
口だけは達者な、物理の勉強をしていない一般評論家からの批判がないから、至極やりやすい科学者天国だ。
そんなわけで、ビッグバンの次には難物――相対論――について、そのおかしな点や見当違いをあぶり出し、かつ、自然に関する最も適切な理解はこうではないか、という追求をしてゆこうと思う。
公転速度を求めようとした実験
前号ではマイケルソン・モーレィの実験で用い
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られたマイケルソン干渉計の概要をみた。光源から出た光の半分はスプリッター(半透性ミラー)を通り抜け、半分はその45o傾けられた鏡面で反射されて90o向きを変え、それぞれの光はその先にある反射鏡で元来た道へ反射される。そして、スプリッターを初めに直進通過したほうの光は、こんどはそこで反射されて90o曲げられ、初めに90o曲げられたほうはスプリッターを直進通過し、両光は合わされる。
反射鏡までの距離はどちらも同じであるとき、エーテルに対して干渉計が運動していなければ両光の波は山同士で明るいままであろう。どちらかが速いか遅ければ暗くなり、明暗の縞は移動するはずである。干渉縞の観測によって両方向の速度差が検出される。
干渉計は地上に据えられている。秒速30q以上もの相対速度(公転速度)をもつはずの地上で、干渉計は光速にすこしの速度差も見出すことができなかった。それを知った世界中の物理学者が驚愕している。
ぼくらは、それがどう取り違えられているかを、これから言おう。
彼らの測定は正しかったのであり、当然であって、なぜそうなったかはこれから述べるとおりなのだ。そして、そのことを知るのは、世界広しと雖も、唯一われわれ“不定期便”をお読みになる選ばれし人たちである。 |
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不定期便 第71号
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実験の解釈を巡る混迷
けれどもそれを世間に明らかにするためには、あまり急ぎ足である必要はない。なにしろこの世の中というもの、斬新な考えはとりあえず潰しておきたいという欲求を(特にその道の顔役たちは)持っている。われわれに先んじようとする人物の現れる心配もまずない。万一居るとすれば大歓迎だ。その当時の科学者たち、いや、現代科学者たちも、相変わらず頭を悩ませている奇妙な現実が起こっているお話をしよう。
マイケルソン干渉計は、一旦スプリッターで2方に分けた光をもう一度同じスプリッターで合流させたとき、双方の光速に少しでも違いがあれば検出することができた。
光波の山と山とが重なっていれば明るく、山と谷が重なると暗くなる。水平に回転させることのできる干渉計が運動方向へ向けられたために、もし2方の光速差によって山から谷までの半波長というわずかな差ができても、干渉計は見分けることができる。標準波長は約605.8nm(1nmは10-9m)とされている。マイケルソン干渉計とは、光が往復してゴールするまでのこんなにわずかな差を検出する優れた測定器なのだ。
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一般に理解されているのは以下のようであった。地球は太陽の周りを公転しており、その速さυは太陽に対してつまり太陽を座標とすれば、この座標に対して秒速30qである。光も光の媒質(エーテル)に対して、光速の値にはこのていどの差異が生じるにちがいない。
光が本来の速さを持つであろうエーテルという座標(太陽座標)に対して常にc(c=30万q/sec)という速さを光が持つなら、ちょうど風速10m/secの中を飛ぶトンビが鳴いたとき、その鳴き声は風上側へは音速330 m/secよりも10だけ遅い320 m/secで届くように、地球上での光速は、地球の公転方向には c−υとなって観測されるはずである。観測結果、29万9970q/secと得たとすれば、これを知られているc = 30万q/secから差し引いた30q/secが実際に地球の運動速度として得られるはずである。 (3/9)
イメージ図
マイケルソンらの驚くべき実測結果は、地球の公転運動が光によって検出されなかった。
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不定期便 第71号 |
彼の干渉計を公転方向へ向けても、後ろへ向けても、光速はcのまま、違いは観測されなかった。これが人類が見た光に関する最初の奇妙な現実であった。近代物理学はついに光のエーテルは存在しないと結論した。しかしエーテルが存在しないとすれば、知られている光速cは何に対して持つのだろうか? 発光体に対してであろうか? 光が走っているその空間であろうか? ではその空間とは何だ? その空間は何によって決まる? 人間が考える勝手な座標でよいのか?
このとき人類が得たのは、光というものはその光を公転運動している地上から見ても c となって変わらず、このことを後に続く科学者たちは「列車に乗って走ろうとも、どんな動き方で動いていても、光の速さは常にcである」と解説してしまった。
その彼らの中には、実際に動くものの上に乗って光速を測定しようと試みた者はいない。こうして、ニュートンの運動の法則以上の理解をもたなかった科学者たちにとっては説明不能な謎と難問に、いまや物理学はぶち当たった。光の運動速度が変わらないのは、運動方向へ寸法が縮むからであると、ローレンツ(Hendrik Antoon
Lorentz,1853〜1928蘭)は説明した。
天才と呼ばれた理論の誕生
とうとう、のちに天才と呼ばれることになる人によって光速不変の原理が唱えられ、そうすることによって起こるさまざまな矛盾を、その都度、仮想的な“仮定”によって切り抜けてゆく理論――つくろい仕立ての理論――すなわち“特殊相対論”を彼は提出した。
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その理論の前提となるのは、第1の“つくろい”である「時間は場所によってちがう」(48号表2)というものである。
人がその場所つまり、物の運動を記述しようとする座標ごとに時刻が違っていては、複雑でめまいを起こしそうだ。すると場所によって時刻が違い、運動速度の速いものは時間の進みが遅く、物の寸法は運動方向に縮み、運動速度と共に物の質量は増大する…等々。こんな稚説が世界を席巻している。これが奇妙な現実の第二である。
(3月9日)
マイケルソン・モーレィの実験
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