C 印刷用は省略      不定期便  第72号 
     
  不定期便 72 0134月13

     迷える物理学 4
      特殊相対論の疑問2――013.3.9

発行
2013.4月13日
発行者
熊野宗治
 

同志を迎える

 今回号では、ある方をご紹介したい。『素人がよく分かる相対性理論の大間違い』の著者松尾憙道氏。 御書はすべてが図解による分かりよい説明にあふれている。興味ある方はお読みになってはと、ご紹介しておきたい。

  さて、自然科学が好きで、学びたいと思う若者たちは、自然科学こそが正確で嘘のないものだと信じている。他の人文科学に比べ、厳密であり、理が通っていることに特別な魅力を感じるから、であろう。わたし自身がそうであった。
 もしも、実は是正されるべき事実があるのを隠され、学府の権威やシステムのために、自然の真の姿を知ることよりも権威や組織を守るべく策意的に抑制されている分野があるとすれば、若き研究者たちにとってこんな不幸はない。社会にとっても、科学の進歩を阻害する大きな損失でもある。しかるに、社会にもまた、そのような隘路に陥らないための責任がある。


光速の謎       3/9

 
光の座標はどこに

前回はエーテルを探すための、マイケルソンらの実験を見、それによれば、秒速30qで運動し

   ているはずの地上に固定した干渉計が、光速にはエーテル(当座は太陽に対し静止しているという前提が観念的にあった)に対する、そんな相対速度はどうやっても観測されなかった。
 では、光速は何に対するものであろうか?何らかの空間に対して? その空間とはどのような空間であろうか。

 1  例えばその空間に対して地球は静止しているものだとすれば、光速cは「地球に対して」、ということになる。

だとするなら、地球に対して公転している月にとっては、光速はcではなくなるはずだ。

また、どんな空間でもよいとするなら、光速自体が決まらないことになる。


 例2  発光体に対してだろうか? 

だとすれば、例えば振り回している火から出る光は速度υで運動している火ごとにそれぞれc+υを持たなければならない。動く乗り物から投げられる投擲体のようなものになる。それぞれの光速は異ならざるをえない。事実はそうではない。

 
 それとも

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例3  太陽に対してだろうか?

地上に静止しているマイケルソン干渉計は地球と共に毎秒30qで公転方向に動いている。親愛なる諸君、これは厳然たる事実だ。

それゆえ、干渉計は30q/secの相対速度を光速に認めるはずである。――だが、すでに検討したとおり、その相対速度は実測によれば認められなかった。

 

 よく試みられる思考実験をやってみよう。

例4  移動中の列車の中で、図1のように天井Aと床Bにおかれた水平なミラー(間隔h)に反射され上下に往復している光は、車中で見れば鉛直方向に c´tで片道hを進み、地上から見ればジグザグに斜長ctで進んでみえる。c´は光の相対速度で、片道t秒かかっているとすれば、表のようにして車中での光速は相対速度c´=βc  (β= )

となっているはずだ。

相対論では不変のcであるとしている。その代わり時間のほうがt´と縮む、と実にばかげている。図2は、実は列車は停車中で、地面のほうが−υで動いているのだと考えた場合の、進み方である。地上の観測者には、車窓に当たる雨滴のように光は斜めに走ってみえるが、実際は鉛直に上下しているだけだ。






























  

1 列車が動いている

図1のc´は光の相対速度。天井ミラーAから床ミラーBへ片道t秒かかっているとすれば、天井高hh=c´t。列車の移動のため光が斜めに走る斜長きょりはct。
 列車の速さが地面に対しυであるとき、t秒間にミラーの移動する距離はυtとなろう。ピタゴラスの定理から幾何学的に
  (ct)2 = h2(υt)2  (c´t)2(υt)2
 これを解くと簡単な代数計算で
   c´=c(1-(υ/) 2 )1/2=βc 
       (β=とおいた)

 α=(υ/) 2 とおくとβ=(1-α)1/2

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 図2 地面が動いている

     光の座標 なお混沌
 光は何に対して光速cをもつと考えたらよかったのだろうか。例1も、2も、だめだ。
 例3から、光の空間は太陽ではない。地球自身である可能性がある。
 例4での、走る列車内で往復する光の思考実験からは相対速度が観測され、地上からは光速cで斜めに進む光を見るはずである。
 相対論者がよく口にするのは、列車は止まっていて地面が動いていると考えても同じことだという。するとつまり、運動している地面(座標系)から見た光速は、走る列車の車窓にあたる雨滴のように、同時間に走る距離だけ斜長となって伸びてみえ、見かけ上光速(相対速度)は速くなる(なって見える)だろう。
 つまり、例3では地球を光の静止座標、例4では走る列車に対して地上が静止座標、地面の移動では列車を静止座標として、光は光速cをもつ、とする結果をもたらすだろう。光速の決め方について、それぞれが自分の見方で論陣を張っている。他の対象へ視点を移したときに矛盾の生じてしまう、これらすべては、自然法則としての普遍性が欠如している。

  
 これらの考察では、視点の置き方だけでその座標系を不変な光の速さの座標である、と前提しているが、なにか重大な誤りがあるにちがいない。

以上は正常な思考を辿っても、矛盾が生じることを表わしている。
 マイケルソンらの実験事実では、秒速30qで運動しているはずの地上に固定した干渉計が、光速には、太陽に対するどんな相対速度も観測しなかった。

相対論起こる     3/9

 
 その結果をすぐ、天才科学者は「光速不変」と規定し、その上に彼なりの理論(第48号参照)を唱えて、そののちの大評判によって確固たる地位に昇るのをわれわれは見る。しかし彼にすれば、ほんのいたずらをしてみたのであろうと小生はみている。物理としてははなはだ破茶滅茶なのだから。

 とはいえ、その理論は、実際の実験では実証しようもない滅茶苦茶なことを言い出してわけが分からなくなったので、科学者でさえ真面目(ヽヽヽ)()“匙”を投げてしまった。それだけならまだよかった。無責任なことには、よく考えもしない賛辞によって「画期的な理論」「天才物理学者だ」、ということになった。

 相対論が発表された当時はほとんど見向きもされなかった。それがなぜ急に評判になるようになったのだろうか。
 相対論は元々想像上の産物だったが、これを見抜いた科学者はばかばかしいとは思いながらも、新進数学者の頭を部分的に借りて余りにも錯綜したものであったため、貴重な時間を割いてまで反論する者はなかった。

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  物理学にとって不幸なことに、非ユークリッド幾何学はじめ、ミンコフスキーによる空想的「時空間」といった、超常的数学が流行っていた。天文学者であるアーサー・エディントンはプリンシペ島での日食観測(星は本来の位置から移動して見えるだろう)から、アインシュタインが予言した重力レンズ効果を観測できれば、一躍、名をあげると考えたらしい、その結果は彼の思いどおりにはこぶ。1919年、彼の観測結果はアインシュタインの予言を完全に裏付けるものだと発表した。この発表によって相対論はにわかに評判になる。理解不能な理論を、自分だけは理解できる者であるかのように、「史上希に見る天才が発見した」と誉めそやす人がいて、それを聞いたもっとわけの分っていないマスコミが大々的にとりあげる。空間が曲がるというシュルレアリスティック相対論が沸き、エディントンも名を上げた。プリンシペ島でのその日の観測は、雨と嵐(望遠鏡はひどく揺れたであろう)の中で行われたのだが…。マスコミが発達するほど、そういう傾向は増幅するだろう。

事後談によれば、1919年以降に行われた観測結果は、エディントンが行った結果とは異なることが判明した。しかし、事をし遂げたマスコミはこの件に関しては口をつぐむ。

学者自身が予め埋めておいた出土品の発掘により、考古学上の説を覆しそうになるのを、案外、学者たちにも見抜かれないのが学問の世界である。それどころか、珍しい発見はそれがただ面白くさえあれば、マスコミが騒いでくれるというところもある。





   
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