C                  不定期便  第78 
                             
不定期便 78号   013730  

     大学での相対論 1    相対論を学びなおす
 
 
 わたしは、自説を合理的と主張するばかりでなく、目下、定説とされている相対論を、もっとちゃんと理解しなければ、と考えた。あまたある相対論の本たちには、それぞれ独自な解釈が展開されている。 学習内容と、その議論や反論に一般性を持たせるためには、大学で行われている典型な講義から学ぶのが適切だろうと、誰でも受講できる放送大学によってみることにした。    大学院の選科生として入学し、「疑問を解きたいところがあるので直接面談でご指導頂けるか?」と質疑様式で提出したら、「君は基礎的なことを理解していないようだ」とのご指導から、ご指示の通り、学部のよく分かる『初歩からの物理学』というテキストによって学びなおすことにした。 これから、それを習得してゆきたいと思う。

放送大学講義
初歩からの物理学 から
米谷民明教授  テキスト 『初歩からの物理学』 

 
 講義内容  わたしの疑問

13章 電磁波とアインシュタイン

13.1 光速はなぜ定数 .228

不思議その1

真空中の電磁波の速度

c=1/√(ε0μ0) (一定)

ε0;誘電率 μ0;誘磁率

誰にとっての速度か? 光速度は有限なのだから光を追ったり、遠ざかったりすれば光速度は変化するはずである。地面は地球の一部で運動しているのだから、特別な基準として採用するわけにゆかない。エーテルが実在するなら、地球表面はこのエーテルに対して運動しているはずだから、光の速度を測定すれば方向によって違うべきだ。
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  講義内容  わたしの疑問
 

マイケルソン・モーリーの実験

この実験からは「地球の公転・自転速度から予想される時間のずれは存在しない」という結論を得た。(大略)



13.2 アインシュタインはどう考えたか          .230

 
マイケルソン・モーレィの実験
ガリレイの相対性原理

慣性系;慣性の法則(ニュートン)が成り立つ座標のこと

地面に静止していれば慣性系として差し支えない*1。一つ慣性系があると、それに対して等速運動している別の観察者にとっても慣性の法則が成り立ち、慣性系は無限に存在する。

ニュートンの運動の法則はどの慣性系でも全く同じ資格で成立し、どれか一つの慣性系だけを特別に取り出すことは不可能である。これをガリレイの相対性原理と呼ぶ。ただし、法則は定数としての速度を含み得ない。もし定数ならその値を観測できる慣性系を選び出せ、相対性原理2と矛盾するから。       .231

電磁場の法則は、電磁波の速度として定数を含んでいるが、ガリレイの相対性原理を満たすべきである。なぜなら、地表の速度は時間帯や季節により異なる無数の慣性系のもとで行われた実験で同じ法則に到達する3

磁石を固定して近くで電線を動かすと電流が流れるローレンツの法則と、電線を静止させて磁石を動かして電流が生じるファラデーの電磁誘導の法則は、磁石や電線を動かす速度が一定の場合で考えれば、これは慣性系の違いである4。電磁場の法則全体を合わせたものはみな同じである。だが、光速が同じ値であるのは相対性原理とは矛盾して見える。




1 地面に静止していても、厳密には慣性系ではない。水平2方にはたしかに加速度が働いていないが、机(地面でも)に置いてある物には重力が働いていて、この方向(鉛直方向)には慣性系ではない。机をどかすだけでその物体は下方へ動き出す。それゆえ、地上での静止も慣性系ではない

ここに述べられている“慣性系”の定義はいたって観念的なもので、イメージしにくい。きちんとした物理学的な定義は77号  9が適切では

2 ここで言う“相対性原理”はアインシュタインではなく、ガリレイの相対性原理を指している。

 

3 その差は微小のため違いを観測し得なかったとみるべきではないだろうか? (1)

 

4 書いてある意味がよく分からない。その一部の現象については、多分に、互いの運動のために生じる曲がった磁場や電場の、互いに及ぼす変化率が起こす現象であるとわたしは思うが。

いくぶんは5859号で考慮した。
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  講義内容  わたしの疑問

光速不変の原理  .231

アインシュタインは時間と空間の定義によって物理学の法則を組み立て直すべきと提唱した。

1. 相対性原理;物理法則はどの慣性系でも同じ資格で成り立つ。

2. 光速不変の原理;真空中の光速度はすべての慣性系で同じ*

合わせて特殊相対性原理と呼ぶ。1.のガリレイと違うところは、力学法則だけでなく、一般的に成立すると拡張したことにある。2.は、光源の運動にも観測者の運動にも関係なく常にcであるとした。常識には反するがどの実験結果()とも矛盾しない。

 

 

 

 

 

* この仮定は、わたしたちの光速度についての理解からすれば違っている。 (2)

 

 そうではない実験が存在する。また、光のドプラー効果の原因の一つは、光の相対速度に因ることを無視されていないか?  (3)

13.3 光速不変性により時間の流れを見直す  .232

時間あわせ

2点を結ぶ直線上の中間点から発した光が2点に到達したときの各時計を同じ目盛に合わせる。こうすれば1つの慣性系K全体でどんな地点でも共通の時間が定義できる。

別の慣性系K´でも特殊相対性原理によれば、光信号で時計を合わせられるべきである。

´で静止している時計

υ; Kから見るK´の速度

χ方向の位置はその方向の物指の目盛で読み、そのχをK座標でのχ座標と呼ぶ。K´で見たときのχ方向をχ´座標と呼ぶ。それはKで位置を測った同じ物指をK´で静止させて読み取る。     (図は筆者が作図した) つづく

私たちの意見からすれば、光速不変が間違っており、この間違いを正当化するために、神をも恐れず“時間”に間違った概念を植え込むものであろう。時間や空間に与えるこのような概念化は「物理学」とは違うものではないか? (4)

 

ここからは、各座標に時計が置いてあり、互いに運動すると、それぞれの時計が違った進み方をする、と説明し始める。

わたしは、時計はどんな座標にも共通にただ1つあればよいと思う。全ての物理現象を計測するには共通の時間によるのでなければ、物理を正しく解明できないのではないか?

時間を合わせるのに自然現象の一つにすぎない光の速さを絶対視することは、物理学を根本から間違っていやしないか?もし光という現象が存在しなかったら、物理学はどうなるのか?(5)