光速の背景  45
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第2章 疑うべき学説
れぞれの光はその先にある反射鏡で元来た道へ反射される。そして、スプリッターを初めに直進通過したほうの光は、こんどはそこで反射されて90度曲げられ、初めに90度曲げられたほうはスプリッターを直進通過し、両光は合わされる。
 反射鏡までの距離はどちらも同じであるとき、エーテルに対して干渉計が運動していなければ両光の波は山同士で明るいままであろう。どちらかが速いか遅ければ暗くなり、明暗の縞は移動するはずである。干渉縞の観測によって両方向の速度差が検出される。
 光の波長は数100オングストロームという微小な長さゆえ、精密に測定される。その結果は、科学者たちが驚いたことに、いずれの方角についても光速はcとしか観測されなかった。(この実験は、一般には「エーテル理論を初めて否定したものとして知られている」と、わたしたちがこれから得る知識からすれば、誤った解説がなされている。)
 そこでアインシュタインは、誰から見ても光速は常に等しいという仮説を提唱する。彼はもうひとつ定義し、「物理法則はどの慣性系(加速度運動をしていない座標系)でも同じ資格で成り立つ(相対論)」とした。
 二つの定義のうち一つがこれであり、二つ目がさっきの「光速不変の原理」で、合わせて特殊相対性理論と呼ばれる。光速はマイケルソンが測定した秒速29万9970㎞というを、通常cと表記される慣習になっている。
 二つ目の光速不変がさまざまな矛盾を引き起こし、その矛盾を説明してゆくのが特殊相対論であると考えれば間違いない。
 まず彼は「エーテルは存在しない」とし、「光は粒子である」と規定する。光速不変だとすればまず次の矛盾にぶつかる。
 図1のように光源とミラーがアーム長Lをおいて置かれた系があるとする。図のように、光速cの光が光源からアーム長Lの先にあるミラーまでt秒で到達したとすると、L=ctであろう。
  
          図1                          図2

系がυの速度で運動しているときには(図2)、同じ向きの光がミラーに達するまでに走る距離はアーム長よりも(系がその間に動いた)υt1だけ余計に必要で、 ミラーからの戻りでは逆にυt2だけ短いのが通常であろう。系に乗っている人にすれば、同じ距離走るのに、往くときの時間が長く帰りが短いのだから見た目には光は往きは遅く帰りは速い。つまり光に相対速度が生じるはずである。詳しい計算は表1のとおりであろう。
 計算のように光の相対速度は往きにc-υ、帰りにc+υを持つにちがいない。

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