光速の背景  49 次ページ

第2章 疑うべき学説
 . 相対論の疑問

 相対論が問われるべきちゃんとした論拠を述べようと思う。わたしはアインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論の詳細について、わたしの前著『アインシュタインの嘘とマイケルソンの謎』のなかで、彼の原文を直接に対照しながら、そのおかしな部分を一つ一つしらみつぶしに調べた。いくらかの面倒な数式を含むものであるが、仔細に確認したい方は、前著をご参照いただくとして、ここではその結果知りえたことを簡単にお話したい。
 《アインシュタインは20世紀の物理学を代表する大学者である。彼の業績は原子・分子の微小世界の機構から、無数の星や星雲を包みこむ大宇宙の構造にまで及んでいる。彼は他の学者たちの思いもかけぬ大胆な着想から出発して、独自の理論を建設することに何度も成功した。》
 これは共立出版から1971年発行された『アインシュタイン選集』に付された、監修者湯川秀樹博士による「監修者のことば」の一部である。しかし、わたしは先述したとおり、この特殊相対性理論のおかしな点を抽出し、わかりやすく披露してみたい。それはあのときいくつかに区切り、区切りごとに論評を加えるという形をとっていたおかげで、それは容易になった。そこから、特殊相対性理論とはどんな本質のものであるかを察していただけると思う。
 その前に、彼が言う相対論というのは、運動する二つの物体の、互いのあいだの相対速度を、彼は座標変換によって表わそうとするものであるということを、心に留めておいていただきたい。島から見える鯨の泳ぐ速さと、それを追う船舶から見える速さとは違うであろう。船舶自身が鯨の運動をとらえるには、陸からではなく船舶自身からみる鯨の速さを知るのがよい。この場合、船舶という座標からみて、鯨はその座標に対してどんな速度を持つか?ということになる。陸から見るか、船舶から見るか、鯨から見るか、というのが座標変換論である。
 さてアインシュタインは座標変換に関して次のように決める。そこにどのような矛盾があるか、特殊相対性理論のもつ不条理な要点をあげてみよう。

 相対論がもつ不合理

――“同調”の不合理
 相対論には、時刻は場所によってちがう、という不合理な前提がある。わたしにとって今という瞬間は、わたしにとっての今であると同時に、宇宙のあらゆる場所で、わたしと同時に今である。発案者アインシュタインは同時を決めるために、時刻の同調という取決めをする。それは奇妙にも、ある出発点から目的地までに要した時間が、帰りの時間に等しいこと、とする。往復するのは光で、光が通過した各場所の時計を読んで、その差をとって時間とする。 川の流れで喩えると、水に対して同じ速さで走るボートが上流の島まで行く時間と、上流から下流の島に戻るまでの時間が等しくなるように上流の時計を決める。常識では上流の島へ行くまでの時間は帰りより長いはずであるが、彼はそれが同じであることをもって、時間は同調しているとする。上流の時計の針を、往復の時間が等しくなるように合わせるのである。必然に、島ごとの時計の針は流れの速さによって違うことになる。だから場所によって時刻は違うと彼は言い、湯川秀樹博士をして「思いもかけぬ大胆な着想」と驚嘆せしめたのであろう。しかも彼は、光の速さはボートの速さと違って、流れの速さにかかわらず一定であるとした。
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