光速の背景   54 次ページ

第2章 疑うべき学説
いる。同理論は物理学のさまざまな領域の支柱になっているほか、原子力エネルギーの開発、哲学や文学にまで影響を及ぼしており、修正されれば影響は甚大だ》とある。三面での記事は「…かつて絶対不変だと考えられていた時間の進み方や空間の広がりが、実は変化するという事実は、物理学以外の分野にも大きな影響を与えた」と書いている。ここにいう「変化するという事実」の「事実」とは、実は「憶測」に過ぎない。「事実」と「憶測」とは天地ほどの違いがある。ジャーナリストにありがちな、言語の取り違えである。かつてジャーナリストたちによって同様にして起こしてしまったのが相対論だった。
 それはともかく、同紙によれば「別の実験の副産物だった」という見出しで、目的は「ニュートリノ振動」の確認をするものだったが、2006年、実験準備にかかる際ニュートリノの速度も一緒に測ってみようということになった。結果は予想に反して光速を上回っていた。グループの皆が「あり得ない。何かミスがあるはず」と、点検に半年をかけたが、結果は同じで、光速が毎秒29万9792.5㎞であるのに対し、ニュートリノの速度は29万9799.9㎞だった。毎秒7㎞以上速かった。「実験に使ったGPSは730㎞の距離で誤差20㎝という高精度。データは3年間でニュートリノ1万5000個分に上る。これらのデータの誤差は大きくても1㎞前後」と結論づけた。

 しかしその後のことを付け加えておかなければならない。この発表には異論と懐疑が押し寄せ、発表からひと月後に確認実験が行われることになった。その結果1118日、OPERAに参加するイタリア粒子物理学研究所は精度を高めた再実験でも、同じ結果が得られたと発表した。
 一方、イタリアの同じグランサッソ国立研究所の別の研究チーム(ICARUS)は1119日、光速を超えるニュートリノの報告に異議を唱える論文をウェブサイトで発表した。一方、1124日、日本経済新聞夕刊に「ミスの可能性慎重に排除」という見出しで、常識覆す「光より速い粒子」(小松雅宏准教授)――という記事が掲載された。ともかくこういった論争が公の紙上で盛んに行われることは歓迎されることだ。


超光速粒子のもたらす超新星爆発の予言
 2002年、小柴昌俊氏がノーベル賞を受賞したのは、主としてニュートリノを検出する大型施設スーパーカミオカンデにおいて、超新星爆発によるニュートリノを捉えた功績による。カミオカンデが大マゼラン星雲SN1987Aの爆発によるニュートリノを観測してから3時間後に、光が確認されたという。これが事実だとして素直に受けとれば、ニュートリノはそのときも光より速かったことになる。特殊相対論に矛盾するこの現象がどう説明されたかといえば、「星の爆発は中心核の崩壊から起こり、このときニュートリノが放出される。そしてその爆発の衝撃は数時間後に外殻へ至り、爆発の光となって宇宙へ飛び出す。その結果、爆発の光が地球に届く数時間前にその兆候であるニュートリノが先に地球に到達することになる」というものだった。 しかし、その光った外殻というのがどういうものだか知らないが、中心核崩壊の結果外郭に及ぶことになったという衝撃のエネルギーよりも、中心核崩壊のエネルギーのほうが桁違いに高いだろう。ニュートリノが飛び出す瞬間と同時に強烈な光を発したにちがいない。また、外殻を光らせた原因が高エネルギーを持つニュートリノほか素粒子たちによるとしたら、少なくともニュートリノのスタートラインと光のスタートラインは並んでいる。外殻が
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