光速の背景  58 次ページ

第2章 疑うべき学説
 《採用された論拠や論理の組み立てが正しければ、その推論も確かであり、信頼のおけるものといえるのです。ところが、論理の組み立てが正しくても、代表的な2つの論証法である演繹法・帰納法のどちらを用いているにせよ、その論拠がまちがっていれば、信頼できない推論といえます》
と言い、この上で、「誤った論理は誤った考え方を導く」として、
「誤った論理は誤った考え方を導きますが、正しい論理は思考の出発点が正統な場合にだけ、正しい考え方を導くことになるのです」と指摘する。まったくそのとおりである。しかもなお、重大な学説が訂正もされない。これはどうしたことであろうか? オリヴェリオは続けてこう言っている。
 《実際に、論理が誤った仮説の有効性を証明したり、出発点では誤っていた考え方を誰もが納得できるものに変えたりすることもできるのです。ときには、このような戦略が、偽りの考えを「広める」のに役立ったりします》。
 相対論に疑問を投げられることに対して、相対論者はまさに、限りなく演じられつづける“弁解論”によって、その有効性を主張しようとする。われわれの反証に対しては盲目であり、自ら実証を行なうこともせず、行なうことができない。その“弁解論”にしても、多くの例が示すとおり、自分たちの都合に合った土俵の中で論じる、法外なものである。大勢の相対論者たちが、そういう方法で、多くの書物を出版して広めている。

 ところで、エネルギーについて論じようとする際に、たびたび姿を見せるE=mcという方程式に触れておきたい。これはよく、アインシュタインの相対論から導かれると説明されているが、実はそれにはまったく根拠がない。E=mcは誰が言い出したのだろうか? E=mcはアインシュタイン当人が特殊相対性理論の本文で告白し、相対論から導かれるものでなく、古典力学だけで説明できると言っている。
 また、旧ソ連の学術センターがカナレフの論文受付を拒否した批評文中に「E=mcはアインシュタインによると述べているが、 アインシュタインが生れる300年も前から知られていることだ」と述べている。
 さらに、『ポール・ランジュバンの教育論』には、
《ポール・ランジュバンはイオンに関する注目すべき研究を続けて行なった。研究室での研究は、やがて大気のイオンと浮游粒子とに関する実験によってその正しさが確証された。彼はまた磁気の研究をもなしとげた。
 早くも1906年に、コレージュ・ド・フランスでの講義において、彼は、アインシュタインとは独立に、しかも同時に、相対性の基本的な関係のひとつ、すなわち質量とエネルギーとの同等性という原子内エネルギーに関する最近のすべての研究になっている関係を打ち立てた》 とある。
 こういった、わたしが知るかぎりのことからしても、どうやらアインシュタインよりもだいぶ前に、雑誌か書物に、いたずらで書かれたことがあるのか、あるいは真面目な研究として提唱されたことがあるのか、ではないかとわたしは思っている。つまり、そういうことを言った人がいることを、知っている人は知っている、のではないか。  さてわたしは二大学説に不利な証言をしてきた。これだけ彼らに不利な証拠があっても、いまだに尊敬を集めている。筆者の望みは、真実が語られること以外にない。人の未来のためにも、真実な何かを彼らが自問すれば済んだことだ。自らの都合のいい解釈をして、学府や権威や一般大衆が喜ぶように、彼らは事実を曲げたのである。
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