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第3章 発見は誰にもできる
だ。それとは別に、偶然にめぐり合う“幸運”がときに起こって、それはその道に携わっていることの上に現れよう。
 「方法」には、もちろん観察と実験と、それに関する思索という三つのアクセスが考えられよう。その原動力は“なぜ”や“矛盾”や“謎”にあり、史実の例によれば、根気づよい地道な積み重ねから、ある事実に出会うときがついにくる。それはしばしばその研究者の悟性による。
 第三の、予感し、気づき、ひらめくという「悟性」によって発見へ導かれ、完成するようだ。求めつづけるなかに、真理への熱心な欲求から悟性に至るものであろう。そのとき、「発見」は完遂する。発見のあとにつづく数式化や定量化、論文作成という手続きは機械的な作業である。論文は発見事実に合わせる数式や言語をあてがうことであるといえよう。
 ついで、論文を発表するという面倒な手続きが必要になる。これは、存外おろそかにはできないようで
そのやり方次第で権威による冷遇、世間の無視や無理解に遭い、反発を招くことがあるからである。自然の摂理を見つけるよりも、むしろそれの方が困難な場合がある。発見は次の世代の貴重な石段となる。その石段として認められるまでのことは、発見の諸先例をみても、容易ではないことがわかる。


 幸運を掴まえる

 発見へ至るには、その道に乗っている――それが自然科学上の発見である場合には、それは研究者自身が自然科学につよい興味をもっていて、その道に居続ける境遇にある――ことが大事であることは史実からも知られる。すでに父親が科学者であったという例もある。その上に現れる特別な運、すなわち“幸運”や偶然のめぐり合わせというものもみられる。しかしその幸運も、その道に携わっているという努力の継続があって初めて現れるものだ。
 その道に乗っていた例を見よう。放射線を発見したアンリ・ベクレルの場合は彼の父が、すでに光化学の研究者であった。彼は、黒い紙でくるんだ写真乾板を用いて、身近に実験してみることができた。その道に乗っていて、幸運に恵まれた例は数多い。ポーランドのコペルニクスがイタリアでアリスタルコスの説に接することができた運をはじめ、地球磁石説に気づいたギルバートが船乗りたちと親しかったこと、乗り合い馬車に乗って居眠りしていたケクレの夢に現れた偶然。考えの浮かばないアルキメデスが公衆浴場へ出かけ、湯船から溢れる湯を目撃してはっと気づいた幸運は、王冠が純金製であるかどうかというテーマが与えられていたという幸運の上に訪れたことであった。J・Jトムソン、彼はヘルツの示した実験――陰極線を電極の間に挟んでみても曲がらなかった――はなぜであるか? そんなはずはないことを論破することができたのは、レントゲンがX線を発見したことを知ったことがきっかけとなった。
 精密な観測資料を蓄積していた師ティコ・ブラーエと、厳密な分析力を有したケプラーとが、互いに出合うことになったのは、劇的で宿命的な邂逅であった。同様に、マリー・キュリーが、水晶ピエゾ電位計を用いて鉱石の中から放射性元素を見つけ出すことができたが、その電位計を発明したのは彼女の夫であった。どの場合にもまちがいないことは、その当人がテーマを求め、その道に乗っていて、その運を生かしたことであろう。いかにして生かされるであろうか。それは自分が進む狭い視野に囚われず、その脇に見えるものへの好奇心を常に失わなかったからこそ、思わぬきっかけからとはいえ、不意に幸運の女神が微笑んだものだった。それにまた、成功へ導くのは忍耐力であると確かに言えよう。わたした
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