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第4章 未来への道
 第1節 宿命のように

わたしの場合には、なにがわたしの幸運な発見に導いてくれたかをお話しようと思う。そしてその発見は何を意味するのか、またそれが実証されたのちの物理学はどう変わるかを論じてみようと思う。けれども諸君、わたしが何を見つけたかを言うなら、わたしの身の上になにがあったかをお話しするのがいいかもしれない。

人の記憶が始まるのは小学校初等くらいからであろうか。その時代が特殊であったために、わたしにはそのすこし前からある。
 蚊の飛ぶような不気味な音が空から響いてきて、人は壕に走り、すぐ身のまわりに降り注ぐ弾――その弾はあたりの窓ガラスをけたたましく砕いた――の音から始まる。自分には弾が当たらなかったおかげで今のわたしはある。それから、大陸から引き揚げる途中の恐ろしい旅の記憶がある。
 小学校初期は敗戦直後で、身のまわりにはなにも――家財道具さえ――なかった。教師であった父が給料をいただいて、借りた家で生活が始まったようである。幼少時には物に対する欲求はなかった。身のまわりになにもなかったのだから、なにがあるべきかも知らず、なにか欲しいものがあるというわけもない。ただ身辺には自然がふんだんにあって、そこに現れるものを見つけては、「なぜ?」「どうして?」を連発していたようだ。じゅうぶん楽しい世界だ! わたしの新しい世界――わたしが生まれてきた世界だ!――に欲しいものはなくても、興味深い謎はいくらでもあった。
 やがて、紙でこしらえたゴム動力の飛行機を飛ばした。学用品である筆箱や下敷を――もう壊れたからという理由で――つぶしてそのセルロイド片をアルミ製の鉛筆キャップに詰めて口をつぶしてローソクの火であぶると煙を吐いて宙を飛んだ。ただ面白い。興味といえばそこまでにとどまり、これが未来には宇宙に器材を運んで宇宙ステーションをつくり、通信衛星を回して世界の様子をすぐ知るために利用しよう、などという考えは浮かびもしなかったものである。
 なにかを発見する(粒を吐き出せば反力を得る)ことと、これを利用すればロケットができること、ロケットを利用すれば世界を支配することができること、これらの三つの脳は、それぞれ別になっているようである。
 物欲に無関心な好奇心(発見)
 それを応用して金を産む発明・技術(産業)
 その技術を商取引して経済を支配する頭(商業)
この三つである。巧いことやる者ほど、優位に立てるようである。優位のかれらはいずれ自然のことごとくを物に変え、いまや繁栄のとどまるところを知らない人間社会が、地球を滅ぼしそうな事態にある。
 まるでその結末であるかのように、黒々とした焼棒杭(やけぼっくい)がにょきにょきと立って、荒れ果てた都市の焼け跡…。本国へ引き揚げた直後の、それがわたしの記憶の原点であるが、この物珍しい光景は原子爆弾の落とされた痕であることを後年になって知る。こういう土地もあるものかと子供心には映ったことであった。なにしろ目の前に見えることが、わたしに準備されていたわたしの生涯の舞台なのだから。
  中学校・高等学校までくると、特殊相対性理論というきわめて難しい理論がアインシュタインによって完成された、と聞いた。わたしが愛好する物理学に、もうわたしがやってみるべきなにもない。自分は絵を描くこと

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