光速の背景  78 次ページ

第4章 未来への道
 「もしあなたが大なり小なり時間を費やして仮説を紡ぎ出し、その仮説の筋が通って既知の事実と合致しているかどうかを確かめ、この仮説を裏づけるかあるいは否定する検証法は何かないかと考えるようになったら、もうあなたは自分で科学を実行していることになる。(同38頁)」

 当時筆者は『宇宙論』の執筆のために日がな、科学思索にふけることが日常になって、そのときも目覚めのきわに、夢うつつで思いさまよっていた。つくばにある陽子シンクロトロンの設備を見学したときのことを思い出していた。
 思索と体験とが結びついたのはそのときだった。第2章の2、「相対論の疑問」で述べた『シンクロトロンも証言』に思いついたのがそれである。それまでは直線運動ばかりで考えていた。この実験施設で粒子が環状軌道を持っていたことが幸運だった。そのことゆえに、光速運動する物体の距離が収縮しないことを目の前の実験施設が実証し続けていたのだった。自然科学は自然から学ぶべくして、数学やパソコンや気まぐれな思いつきが自然を規定すべきではない。わたしはその思いを強くした。
 出版意図が危ぶまれる中にあって、筆者は訴えつづけた。

 ――出来上がった権威がもっと正しい科学的方法に取って代わられたことが過去にもあったたように、《「現代にも誤っていて絶大な権威で固められたものでより正しいものに取って代わられるべきものが目の前に存在するわけです。」》
 ――《矛盾した相対論の前提を正しておかなければならない。この書物はたくさんの材料を提供するだろう。この出版によって眠っていた新しい発掘が相継ぐだろう。同時に第三次科学革命も起こるべきである。マイケルソン博士は決して相対論を認めていない。》
 ――「相対論の大前提は、光はどんな速さで追いかける人にも、遠ざかる人にもいつも同じ速さだというものです。同じ光が観測者の数だけ幾通りもの速さに分裂することになります。こんな怪奇が科学の基本であり続けていいはずはありますまい。高速で運動する物の寸法は縮みません。つくばの陽子シンクロトロンで誰でも確認できます。」
 2006年6月2日の書簡はそういうことを書き送った。

本になるのを待ちながらも、わたしはこのころから次作『未知への挑戦』の稿想にかかっていた。もう書くことはあるまいと思っていたのに、その後も次々と思い浮かんでくるのだからしかたがない。こんどはしっかりと相対論に的を絞ることにしよう。そうしなければならない。待っている間に、一方ではそれを書き綴る毎日が続いている。 

東京へ出たついでにわたしは古書店巡りをした。ある学術系の書店を見ていると、『それでもアインシュタインは間違っている』(フィリップ・M・カナレフ著)というのを見つけた。それは私の、理論のディテールを一つ一つ追って具体的に切り込むのとは対照的に、別の角度から見た本として面白いものだった。もちろん私には強い杖となった。図書館で見た『ビッグバンはなかった』も、同じような大局的見方から矛盾を突いていた。
 2006年6月23日を過ぎた。「もう殆んど書き加えるものはないと思う」と伝えた。さらにひと月が過ぎた。
 この間、編集に取り掛かられない以上、もうすこし筆を加えても

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