光速の背景  79 次ページ

第4章 未来への道
  よかろうという気で、思いつくごとに更新した原稿をお送りしていた。

 ――《不思議なことがあるもので、もう他に書くことはないと思っていたのが昨年夏のことであるのに、今、『人は宇宙になにを見るか(のちの『幻子論』)』は見違えるほど充実している。
 あのころ、わたしはこの本を早く出したくて、大きな情熱を抱いていた。もう原稿は完成していた。そこで少し離れ、あの古書店巡りをやったものだ。書店にも図書館にも無くなっていた、相対論の誤りを指摘する二冊の本を見つけた。思い掛けない展望があった。(それらと別の、マイケルソン‐ゲイル‐ピアソンの実験はそれ以前に図書館で見ていた)。これらの裏話から、相対論というものが確かに擬物理学であることを確信した。
 このわけの分らない相対論は、数学を取り込んで(幾度も幾度も数式の変換を繰り返し、複雑になっている)、数多くの若い理学者の卵たちに無駄な時間を浪費させる。これは止めなければ永遠の損失が続くだろう。あげく、せっかくの優秀な理学者たちを絶望させ、物理学から遠ざけるにちがいない。
 つい最近にはハッブル則の矛盾に思いついて、宇宙膨張説の誤りを理論的に明確に指摘することができた。
 これらのことはまた、科学を志す若い人たちに大きな示唆を与えることができるだろう。数年前に、何気なく始めた宇宙論がこんな結論の実を結ぶとは…。》2006年8月4日、そういったことをしたためた。

 それから2ヵ月、ついにわたしは意を決した。
 ――「謹啓、昨年、出版のご意志を承った際には大変喜んだものでした。しかし、ご都合のようでなかなか…………この出版はご迷惑なのであろうと結論せざるを得ません。」

 2006年102日、わたしはもはやS社での出版を諦めようとして上の書簡をしたためた。その後ご挨拶の電話をしようとしてみると、「いや、もう編集にかかっている」とおっしゃり、種々のご都合を吐露され、S社での希望は続くことになる。おそらく、相談された知識人の方々からは、こんな(相対論を否定するような)本は出すべきでないとか、まちまちな異なる意見を聞かれ、迷っておられるのであろうとわたしは察した。ほっとして書簡は続いた。
 ――《いま少し文学作品が読みたくなって、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を読みかけました。嘗て読んだ記憶とは、出だしがまるで違っていて、すごい作品であることを再確認しているところです。ジャンバルジャンが貧困のためパンを盗むことから始まるのでなく、彼を救った司祭のことから始まるのですね。なにか聖書でも読むような厳粛な気持ちになります。
 1828年から17年がかりで資料を集め、3年かけて執筆し、それから10年後に出版になったようですね。精力を傾けられただけある大作であることを改めて知りました。学ぶものは沢山あるのですが、そのある部分が特に目に留まりました。物語の上ですけれど、国民議会(革命議会)の元議員で、国王ルイ16世の死刑には賛成票を投じてはいないが事実上は国王の殺害者同然として、獰猛な禿鷹のように噂されていたGという議員は人知れぬ巣窟にいて、瀕死の病にありました。司祭は「あそこにひとりぼっちの魂がいる」と救いの手をさしのべに訪れます。牧童の少年が面倒を見ている老人が入日に向かい、椅子に座
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