――《Kさま、少し前に、九州の妹と電話しあった際に、妹はアインシュタインが天才ナンバーワンであったといいました。(なにしろ、我国の多数決で民主的に決まったことですからね!)私が相対論に関する原稿を書いているのを、少しばかり知っていたのです。
わたしが言おうとしているのが何だい、という様子で事実そういう気持ちでしょう。どうも、灯台下の卑近すぎる身内を軽んじているようです。で、わたしの見解を書き送ってやろうとして作ったのが添付のものです。いくら軽薄頭でもよく分るように、噛み砕いてやったつもりですから、どうだ、恐れ入ったか、というようなものですが、やはり馬耳東風でしょうか。まだ、驚きの返事はありません。 2007年1月27日》
※2007年1月6日、日本テレビの放映によれば、“日本人がアンケートで選ぶ天才のナンバーワン”にアルバート・アインシュタインが輝いた。これに関する評論(妹への啓蒙)を次作『アインシュタインの嘘とマイケルソンの謎』の中に「なぜアインシュタインは天才ナンバーワンか」として組み入れている。
初の『幻子論』はそれからすこしして、2007年3月発刊を迎える。さらに『未知への挑戦』発刊までの書簡がある。
そしてその原稿『未知への挑戦』は2008年8月、『アインシュタインの嘘とマイケルソンの謎』として発刊になる。その4ヶ月ほど前の2008年4月ころから、次作『光速の背景』の構想を始め、五月、その企画案を立てている。それがこの本である。
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