光速の背景  86  次ページ

第4章 未来への道
解けなかった光の足元

 『幻子論』の執筆当時、なんとしても解けない“光の座標”に縛られ、格闘していた実情を、今だから明かそうと思う。
 そのときの表向きのテーマは、動く実験室というクリフォードの思考実験についてであった。その実験室が静止しているなら、天井と床に貼り付けられたミラー間を光は10秒間に10往復するものであった。実験室が横へ0.48cの速さで動いているならば、地上観測者から見る光はジグザグに進んでおり、同じ反射回数でもジグザグの分、約11パーセント、距離が伸びているから、光速一定の光は9回分までしか進まない、とクリフォードは説明する。これで、運動する物体の時間は遅れる、ことがわかるというわけである。
 だがこれには明らかなごまかしがある。光速が一定とする代わりに、彼は時間の方を光の反射回数で測る、というごまかしである。そのときのわたしの反論は
 《光の場にとって地上の人は一定場所に留まるものであり、実験室のミラーは実は光の場に対して反射方向に0.11c――直角三角形の二辺が1と0.48である斜辺は1.11――の速さで遠ざかるものである。その結果、光は一往復に約1.1秒かかることになり、9往復で10秒に達してしまう。光は相対速度0.9cをもつとすることが正しい。
 光が最初の一歩を踏んだ場所から光は進むのであり、その場所から実験室は横へ0.48cで遠ざかりつつある。光の足元は地上者に対して静止しているが、光は実験室の、天井と床の間を往復しながらジグザグに進んでおり、一往復には静止時の1秒とは違って1.1秒かかっている》
 とした。この説明に誤りはないだろう。だがこのときわたしは、内心では「しかし、光の足元つまり光の“場”が地上に対して静止することを暗に前提としているが、これでよいのか?」という疑問をその後ずっと抱いた。この時点でまだ、光は光の絶対的な座標をもっているとわたしは考えていたのである。クリフォードのごまかしには反論しえたものの、依然として光速の矛盾を解きえず、前著『幻子論』の巻末につけた「マイケルソンの相対速度」は、それと格闘した苦悶の足蹟だと揶揄されても仕方がない。
 だが、その苦悶に応えたものこそ、これから触れるもうひとつの発見であり、物理学上それは重要なものとなるだろう。


新しい法則へ――光の座標と重力場の関係
 2章では、マイケルソンの地上実験で2方に別けた光線の「それぞれに対して光の速さはまったく同じ」だったという解釈(ヽヽ)が間違っていると述べた。これを明らかにしよう。
 科学者たちはそのことを、車で走る人にも地上を歩く人にも光の速さはまったく同じである、と一般に解説してしまった。ホーキングも言うように、「マイケルソンとモーリーは精密な実験を行なった。地球の運動方向とそれに直角な方向で、光の速さを比べた。驚いたことに二つの速さはまったく同じだった!」と説明し、どんな速さで運動している観測者に対する光速の値も同じであると解説する。 右の“説明”は実験事実の説明であり、“解説”はそれを人に伝える際に分りよく咀嚼(ヽヽ)した説明である。一見親切な“分りよく”にはうかつにも事実を曲げた、誰も気づかない早呑み込みがある。マイケルソンは車での実験はしていない。このデリケートで気むずかしい
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