光速の背景   88
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第4章 未来への道
うかという疑問である。現在では波のよくそろったレーザー光で可能であろう。しかしわたしはマイケルソン装置が干渉縞を捉えたとして、光の背景についての思索を先へ続ける。
 われわれは理解を易しくするために、光の背景たる宇宙空間を大海にうつして考えることにした。よく考えれば、海波の速度は、その起こされた波が生まれた海面(ヽヽ)に対する速さである。「波が生まれる場所(ヽヽ)」があり、「波が進む場―グラウンド―」がある。その場と物質の存在空間との関係がどうなるかが問題になる。
 海洋には海流という大きな部分流があり、発生した波はその波が発生した海流(ヽヽ)の上で、波の速さを持つ。海流の中にあっても部分的(ヽヽヽ)な海水の集団があって、周囲に対し異なる動きを持つこともある。つまり、波の伝わるその場の条件によって、海洋全体に対してわずかに異なることがある。
 いまυなる速さを持つ海流に漂う船舶があったとしよう。その船が生じさせた波はその海面に対して決まった速さυをもつ。船に対してではない。これを遠方の、海流がゼロである海域から観測したとしよう。あの波がこちら(遠方側)の足元まで達したときの波の速さはここでの波と同じになっている。しかし海流のあるあの地点から見た波の速さは、その波の速さに海流速度を加えた速度であると観測されるに違いない。υ+υがこちらから観測するあの波の速さとなるはずであった。それがこちらの足元まで届いたときの波の速さを観測すると、やはり発生したときの速さυになっているというわけである。海流のさなかにあったあの船の上で自ら観測する者にとって、やはりυを観測するのだ。これが光の足元、“光の場理論”に当る。その場合の観測者の船は海水に対して静止しているのが条件である。
 光の問題に立ち戻って考えてみると、観測した光速はどの向きに測っても同じcであったとされている。さっきの、海洋に喩えて絶対座標と考えていた宇宙に対して地球が動いていれば、光速は方向により異なるはずのものが、同じであった。このことは、海洋の海流に相当するもの(光の座標)に乗っている――動いてみえる地球は、実は光の座標の流れに乗っていて、その結果地球は光の座標に対して静止している。それゆえ、光速の異方性を観測し得ないのだ――と考えてはどうか。
 その流れとは何であるか?と考えざるを得ない。そこでわれわれは、光を産むのが物質(ヽヽ)であったことからして、それは地球の重力場(ヽヽヽ)ではないかと考えつく。地球の動きと全くずれることなく動いていくものは、地球自身がつくり出す重力場をおいて、ほかにないのではないか。なぜ地球の運動がマイケルソンの干渉計で検出されなかったのか? マイケルソンは、彼方の海流に乗って船が立てている、あの波の速さを測定したのではない。あの波が彼自身が乗っている船のすぐ近くまできたとき、その波の速さを、身近な海面で観測したのである。地球の運動と思っていたものは部分海流そのものであって、地球と地球に固定した干渉計の運動は実は海流(ヽヽ)()まま(ヽヽ)にあった。エンジンを止めて海流に乗って動いているように見えるものは、海水に対して動いていないのだ! 光の相対速度を観測するには、自ら(ヽヽ)()推力(ヽヽ)を持って地球の重力場(ヽヽヽ)()対する(ヽヽヽ)相対的な運動速度を有していなければならない。

見つかった光速の背景――「光の重力場法則」
  そこでわれわれは「光の座標と重力場の関係」を提唱する。「光はその光が生じている重力場(ヽヽヽ)に対して、重力場の強さに応じた一定の速さcで伝播する」
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