光速の背景  98
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第4章 未来への道
両者の速度差V―υを⑤式のように相対速度υで表わすことにすると④式は表中の⑥式あるいは⑦式と表わせる。
 そこで、mからMをみて、Mがいかなる運動エネルギーをもって見えるかをみよう。つまりmの座標を静止座標としてみるときは、υ=0とおいて⑥式から、
  K=(1/2)Mυ ……………………………………4‐⑧
となり、Mからmをみるときは、逆にV=0とおいて⑦式から、
  =(1/2)m υ ……………………………………4‐⑨
を得る。これならよく見慣れている式だが、この⑧式も⑨式も、絶対的な量ではなく、互いに相対的な運動をしている相手から見た量であり、みかけの量である。絶対静止空間から見た量ではなく、絶対静止空間に対して自分が動いているまま、自己中心的見方からみえる仮の量である。これが今まで学校物理で教わってきた、2物体間の相手の持つ運動エネルギーであった。アインシュタインの相対論もこの域を出ていない。なんとなく分ったような分らないような気がしていた理由が、ここに明確になった。アインシュタインの物理学は、ここから架空の物語へ迷い込んでしまったものである。
 こんにちまでのことは絶対静止空間がどこにあるかを不明瞭にしたまま進めてきたために覚えた、心的不安ではなかっただろうか。今の例では運動エネルギーに着目したが、同様なことは運動量についても、それから、場のもつポテンシャル・エネルギーについても、さらに、“質量”とその質量に付随する“場”とがもっと違った形態でもつであろうエネルギー(例えば波動や磁場のような)についても、絶対静止空間に対する量として物体A、Bはそれぞれ有するだろう。
 ところで、これまで論じてきたことから、全宇宙に対し、A、B二つの物理量の合計が互いの衝突後において、厳密には保存されないことがわかる。その内のわずかな量は、かれら以外の他の物理量に変化を及ぼし、したがって2つの間だけの物理量はその全量が保存されるというわけにゆかない。保存されるのは、かれら2つと他の存在すべてとの合計なわけである。けれども、かれら2つが、“場”を通して他へ与える影響がごく僅かであるかぎり、他のすべてから及ぶ影響もわずかであって、実用上、2つのみの量が保存されるとみてよいのである。これらの問題は、素粒子の世界でも同様であろう。それゆえ、実験室の装置における各々の実験粒子が持つ物理量に対しても、かれらにとっては地球の質量や、地球が太陽をめぐる公転運動速度や、太陽の運行速度も、――それらの存在がはなはだしく遠方であるがゆえに――ほとんど影響が及ばないのである。
 すなわち、宇宙の静止空間に対して粒子がもつ量についても、粒子の相互間での物理量は、実験装置に対する量を観測すれば十分なのであって、信じがたいことではあるが、いま現象の生じている場所から遠くかけ離れた巨視的宇宙からは、さしたる影響をうけないのである。このことが、大宇宙の絶対静止空間がどこにあるかがわからないまま進められてきたわれわれの物理学が、多くのことに支障なく応用され得てきたことの理由であろう。すなわち実験粒子たちにとっての絶対静止空間は実験装置そのものと見ても、ほとんど正しいのである。
 しかしながら、光の座標がどこにあり、宇宙がどんな構造で満ちているかを少し知りえたいま、そういった自然のありようにしたがって、われわれは科学的思索を続けることが肝要であろう。これが今後の新しい基礎物理学における基本理念とすべきであろうとわたしは考える。もっと未来には、この主張にも、なにかの誤謬が見出されるかもしれない。そして、それがより真理であるならば、そのための一歩を進めた私は、幸福のうちにそ
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