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第6章 なにが学問を遅らせるか
をさぞかし示すだろう。いわゆる秀才として。だから存外かれらが天下をとってしまう。しかし人々は、その轍が、あるいは誤謬の底なし沼へつづく一本道であるかもしれないことを、疑おうとしないのはどうしたことか。新しい道は見出されるだろうか? 近年の、変革を好まないこと牛のごとしである。
 では、真理への熱意を抑圧する者はだれか。それは案外と、科学者というよりも、勝ち抜いてきた(あるいはそれには中途半端となった)人物たちがつくる社会なのかもしれない。その性格はどうであろうか。


 社会と学閥体制の性格
 わたしの見方は間違いだと批判する人がいるかもしれない。しかしあえてそれを率直に言えば、私に見えるところの社会がえてして持つ好ましくない面での性格は
 ――変革を好まない、差別意識をもつ、自利心に富む、頽廃しやすい、などにわたしは思い当たる。
 学閥体制も社会体制に似て、
 ――変革は好まれず、定説を維持し、疑問をもたず、再検討をしたがらない。定説を覆しそうな新説が現れると、早速討伐隊を送るか、直接行動をとらない場合にも、従来論を新企画で打ち上げるなどをみる。
 差別意識や偏見もあって、極端な場合は自利心に執着し、みずからに益しないものは受け入れない、あるいは、現在の居心地や利益や地位を失うくらいなら、いくらかの矛盾に眼をつぶり、正義感を放棄することさえ選ぶことがある。自らもされたくない他の説の矛盾にもなるべく触れないでおこう。
 これらのすべてを反転させたと想像してみるとよい、めざましい学問の進展が期待できそうではないか。

 物理学の新しい夜明けを阻むのはだれであろうか? 新しいヒントをなぜ潰そうとし、なぜ無視しようとするのか。なぜ見通しの暗いあやまった道をもてはやし、飾り立て繰り返し祝うのか。そのためにどれほど多くの有為な警鐘がかき消され、埋もれたことか。これはあきらかに人類の愚行であるのに、治しようのない人間の性としてみせつける。根本にある不条理や矛盾を、学者として恥じることもなく、なぜか平気で置いておくのである。
 そこに新しい萌芽があったとしても、初期にはそれは雑草と見分けがつかず踏みつけられるのが常。時代によっては、それは雑草以上に、ある特権階級にとっては邪魔者である。不合理な裁判で抑圧しおおせた時代もあった。時代は変わっても、形を変えた抑圧は存在するもののようである。根強い偏見が新鮮な芽生えを阻む。しかし偏見に限ればいつの世にも常にある。学者の世界にも胴元のように采配を振るう人もいるから、新しいものが生まれるには少なからぬ困難がある。


 路頭に迷う論文
 筆者はかねてから相対論に疑問を抱いてきた。これが自然科学界に及ぼしている影響について懸念し、著書では『アインシュタインの嘘とマイケルソンの謎』で著わした。わたしが若くして聞いたころの相対論は冗談だと思ったものだ。ところが、これは驚愕することに、本気で科学界に浸透している。わたしが感じることが正しいなら、誰かがその誤りを指摘し、相対論の勉強は不要のことを知らせなければ、今世紀以降も有能な研究者たちの大きな損失になるだろうという思いから、わたしなりの微力を尽くそうとした。しかしそれは想像を超えて困難のあることがわかった。
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