光速の背景  146
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第6章 なにが学問を遅らせるか

相対論者が頼みとするのは、高速で運行しているはずの地球上の観測器によっても、光速はどの方角についても変わらないという謎である。この謎が解けない限り、なんとか安心していられるだろう。ところが諸君、我々の新しい考えにある脅威は、その謎が解かれていることにある。

 文明の進化が遅れることに、大した問題はない。遅れをとらぬよう他の知的異星人文明と競わなければならないこともない。絶対的な時間に対して、文明の進み遅れはどんな意味もない。人類の身体的進化にも、ほとんど関係ないだろう。それよりか、誤りが早期に改められることは、これから多くの研究家がこれに関わって進める研究が無駄になることから救われることに意味がある。知る喜びと落胆との落差の問題である。真なるものへの輝かしい喜びであるか、偽物を喜んでいるのかの違いである。研究者たる者、後者には関わりたくないものだ。この願いは誰しも共通であろう。来る世代の人たちにそういう迷惑を残してよいものか?という問題だ。


真理を求めつづけよう

 古来、ある節目とみられる時期に飛躍的な発明、発見があった。発見で言えばアリスタルコス、アルキメデス、コペルニクス、トリチェリー、ケプラー、ニュートン、ファラデー、カメリン・オネスらを例にみる。飛躍的な発明は技術の面で飛躍的な社会構造の変革をもたらし、飛躍的な発見は科学上の飛躍的な進歩をもたらした。
 アインシュタインもその輝きであったかもしれない。しかしかれの理論には矛盾があって、これを研究するなかで、わたしはこれに代わる新たな自然法則の発見へ導かれたものだと思う。読者のかたは本書を通じて本書がアインシュタイン博士の功績を否定することばかりに精出しているように感じられるかもしれない。しかし、それはちがう。博士によるひた向きな理論構築というワン・ステージがあったればこそ、さらに深い光への理解へ達しえたものだ。この難題をわれわれが超ええたのはアインシュタイン博士の功績であると言っても過言ではない。彼も、物理学を一歩進めた。彼が採ってみせた光速への思考は捨てられなければならないことを示したからである。
 したがって研究に従事される方々は誤った理論へ迷い込まれないよう、個々の理論の中に相対論を組み込まれないことをお勧めしたい。なぜなら、例えば相対論の2つの要素を取り入れたために、結果的には誤りが相殺され正しい結論へ達したかに見えることもあるが、他の場合には間違った結論へ導かれるおそれがあるからである。相対論が公然の誤りとされたとき、その個々の理論は再構築を余儀なくされることになろう。初めからこれを避けておかれることが賢明だと筆者は考えている。
 さて新しい発見は学問が行詰った暗い時代に、なぜか突如として現れる。先の見えない、長い沈滞があってのち、しかるべき着想が現れて不合理を解く鍵を見つける。たいてい、開けてみればなんのことはない簡単な仕組みであると分かるのが通例だ。だがそれは、あらゆる不具合を一掃する。これまでの例をみると、それはあるとき、一億人のなかから一人*という稀有なひらめきが解き放ったことであった。
 地道な研究に携わる学兄諸君、たとえいま逆境にあろうとも、自らに確信があるかぎり勇気を持って真理を求めつづけられたい。いずれ明るいときが訪れるにちがいないから。

        資料(引用集7)『知性について』 ショーペンハウエル

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