光速の背景  149
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第6章 なにが学問を遅らせるか
と非常によく分かるであろう。
 こんな話もよく耳にする。《何万光年というはるかな宇宙と、いずれ会話ができる時代が来る。ワームホール伝いにべつの宇宙と行き来するようになる。科学の進歩が、どんな困難も可能にする。》
 しかし、仮にそのようなことが可能であるためには、自然自体にそれを可能にする“法則(自然界の性質)”が存在するという前提が必要である。あるテレビ番組で、「宇宙には人類とは比較にならぬほど進んだ科学がありうる。その科学はわれわれに理解できぬほど高度で難しい」と、まるで見てきたように、東京大学教授というある科学者は発言した。
 だが、物に質量があり、物質をつくる原子が原子核と電子からなることは、地球が誕生した頃からずっとそうであろう。地動説が天動説よりも難しくなったわけではない。むしろ簡潔でわかりよくなった。ニュートンの万有引力の法則は、1900年以上昔のアルキメデスの原理に比べても、同じほどに簡潔である。困難なのは《天界が動くことから地球が動く》ことに考えを変えること、《光速は不変なのではなく、重力場に対して動くものには光速に相対速度が生じる》ことに考えを変えること、にある。《考えを変えること自体》を、権威者も社会も容易に許そうとしないのである。
 その教授は、この宇宙からべつの宇宙へつながるワームホールが存在すると信じているらしかった。われわれはどうかすると、われわれの物理学の進歩によれば、自然法則をすら創り出さんばかりの錯覚をもっている。だが、省みるべきは、いかに学問が進もうとも、学問が大自然の法則をも創り得るものではない。われわれの学問の可能性は、必ず、自然の法則を見つけ出すところまでしかない。学問が自然法則を創り出してはならない、断じて! それが自然科学の根本であろう。ニュートンの“神の計画を読みとる”ことが本物の物理学であろう。空想科学上(空想科学が“科学”であるはずはないのだが)の余興なら余興で、東京大学教授を呼んで言わせずともよい。ところが、余興が事実、相対論を流行らせ、ビッグバン説の広まることを、かつて実際にマスコミ騒動を介して起こしたのである。


 教育と社会

教育論の背景
  『科学教育論』世界教育学選集14にはポール・ランジュバンの科学教育論が収められ、こうある(一部略、以下同様)、
《ポール・ランジュバンはイオンに関する注目すべき研究を続けて行った。研究室での研究は、やがて大気のイオンと浮游粒子とに関する実験によってその正しさが確証された。彼はまた磁気の研究をもなしとげた。
 早くも1906年に、コレージュ・ド・フランスでの講義において、彼は、アインシュタインとは独立に、しかも同時に、相対性の基本的な関係のひとつ、すなわち質量とエネルギーとの同等性という原子内エネルギーに関する最近のすべての研究になっている関係を打ち立てた。数年後、物理学会でおこなったある講義で、彼はこの発見がもたらす計りしれないもろもろの次のような帰結を、予言的に明らかにすることになった。》

 エネルギーの貯蔵所・物質について、
《いかなる惰性にも、それに対応して、その惰性をもっている系のなかに質量と光速度の二乗との積に等しいエネルギーが存在しているであろうし、そのエネルギーの解放は物質の構造の完全な破壊に対応することになるであろう。 われわれは、前に述べた仮説によっていかなる物質であれ、その物質1グ
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