光速の背景  152 次ページ

第6章 なにが学問を遅らせるか
 学力の査定をそういった出題問題に答えられるかどうかだけによっているかぎり、それをはみ出した能力は認められにくいし、出題問題以上の査定はまず不可能であろう。型に嵌められた、権威盲従型の人材しか育成し得ないのではないか。そういう人材がまた、社会の重要ポストをしめる人物となるだろう。社会がそのような構造を形成することから、その社会がどのような性格を持つことになるかは、およそ予想されよう。型に嵌まった社会、それに順応することがそういう人材にとって居心地のよい社会であるのにちがいない。しかし、生まれてすぐに知った痛さから自ら学び、自己の内奥から究めようとする発達環境こそが大切なことだろうに。学者もまたそうである。同朋の説とは争わない品のよさを保たなければならない。学位の取得にも影響するかもしれないから。

やっかいな社会構造
 社会構造いかんによっても、いくらか違った性格をつくることが考えられる。近年の社会構造は大きくアメリカ型とヨーロッパ型に別れている。アメリカや従来の日本はアメリカ型であり、フィンランドや北欧がヨーロッパ型である。前者は自由主義的市場経済、後者は社会市場経済を形づくっている。前者が自由競争による競争社会であるのに対し、後者は連帯社会である。
 教育環境については、その機会は我国では受験競争――貧富の差が直接に影響する――に勝つことの経済的ゆとりのあることや自己責任が課されるのに対し、フィンランドでは授業料は無料でありその上、学生の生活保障つきである。前者は学費が工面できなければ誰からも助けてもらえない自己責任社会であるが、後者は助け合いによって学びたい者は就学することができる連帯社会である。前者では社会経済的成功者の家柄において優位に進学できることを意味する。自分ではあまり考えなくても、教えられることをよく記憶する者がよい試験成績をおさめ、有名とされる大学へ進むことができよう。
 競争社会では社会に適合しなければ勝ち進めないことになる。少しばかりの不条理を感じるときも、それに疑問を抱いて逆らうようなことをすれば、たちまち競争社会から放り出されるだろう。大学そのものが競争主義である。そういった社会がよく大学に投資してくれるような学問研究を大学が選び、それに励もうとする体勢が形づくられるであろうことを否定しがたい。いますぐには営利に結びつきそうもない基本的で極めて大切な学問こそを、おろそかにせざるを得ない。資本主義的、競争市場主義的社会ではほんとうに正しい学問が生まれるのか疑問である。日米――自由主義(我国では利己・利権主義であった)的資本主義(利益第一主義)社会である――はこの型である。書店ではばかる本の種類も、図書館におかれる本の種類も、この社会体制に沿ってそのとおりにならざるを得ない。成果をせかされるこの体制下で、時間をかけて自然の真の摂理を究明しようとすることがそもそも困難をきわめる。人類とはこのように、本来が頑固なおろか者だ。それゆえ、若い有能な諸君は強い忍耐力を必要とする。

これからの教育
 私が思い浮かべるこれから望まれる教育は、さきほどの教育理念とは対照的に、内からの誘導、未知への関心、一般教義を超えたものからの能動的思索、関連性を思料した演繹的思考などをうながすことにある。新しい理論は内から発想される。たとえばニュートンの法則を知ったとして、しかし自然は「なぜこのような法則をもつのか」が未知(ヽヽ)()の関心である。幼児があびせる「どうして?」という疑問は、人が幼児期にはもってい
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