熊野宗治 Yuya Muneharu


『アインシュタインの嘘とマイケルソンの謎』
     ――
物理学の失われた100年      08年8月 新思索社


 1919年の年末は、とくべつ、空想的物理学の話で持ちきりだった。かつては、観察のケプラーと思索のガリレオを継いだニュートン力学が、それまでの幾何学を初めて物理学に格上げした。それを可能にしたのは、同時に生まれた微分・積分学の完成である。微積分の輝かしい成功は、その輝きのゆえに数学への崇拝と憧憬を集め、数学を行きすぎた発展へ導いた。皮肉にも、再び物理学を数学へ叩き戻すことになる。
 その後の理論物理と数学の発明は相補的に進められ、現実から離れた数理物理学へと走らせた。エリック・J・ラーナーは言う、「厳密な数学的法則を仮説として立てるとき、自然のたった一つの側面を抽象しているのであることを科学者が心得ていさえすれば問題はない。ラプラスの誤りは単一の数学的法則で自然のすべてが記述できると想定した点にある」。

 1830年代の電磁誘導の発見は、感性のファラデーから数理のマクスウェル電磁気学へ、そして、マイケルソンのエーテル検出の失敗をよいことに、アインシュタインは超越的幾何学から空想的相対論を展開。1905年の特殊相対性理論はあまりに奇妙すぎ、16年の一般相対性理論は超越的数学による煩雑をきわめ、それゆえに成功した。1919年11月9日、ニューヨークタイムズ紙に「日食、重力による湾曲確認」の見出しが踊った。冒頭に述べた騒ぎがおこった。この証明は、そのすこし前、王立天文学協会の会合で(5月25日)公開された。(――しかし大気層が激しく揺らぐ嵐の日の観測が細い星の光を、ほんとうに正確にとらえたのだろうか? 強風は観測器を揺らし、レンズには雨滴が付着し、揺らぐ大気層は露光の間じゅう星を動かし続けたに違いない――)

以後、相対論は物理学の頂点に置かれ、物理学を一世紀にわたり泥沼の長い眠りにつかせた。数理崇拝と強大なメディアと娯楽好きな大衆たち、それに、引きもきらぬ好奇的科学者たちが、アインシュタインをなかなか降ろしがたい物理学の頂点に祭り上げた。

 人はなぜ過ってしまうのか、この本は前著『幻子論』を考慮しつつも、読者諸兄とともに相対論の立脚する「光速不変」の謎に迫りながら、実際の自然に根ざす、元のニュートン的感覚をとり戻そうとするものである。(序文からすこし加筆)