ビッグバンの疑義 熊野宗治
―迷える物理学―    不定期便第70号 から


 光速不変の原理は正しいか

 光速不変の原理への疑惑

“空間”をどこに定めるべきかはとりあえず考えないことにして、いま青葉の繁った大木がすっくと立っている。この不動にみえる大地に対して風が吹いていれば、音はその空気中で約束どおりの音速を持つだろう。だとすれば、音が大地に対して音速を持つと考えるのは間違いということになる。
 音の絶対座標 (音が本来の速さで走る空間) は大地ではなく空気である。大地に置かれた机の上で音の速さを記述するためには、つまり大地を座標にして記述するためには、空気に対する通常の音の速さに、大地に対する空気の動きを加えなければならない。

しかし、大地と空気のどちらの座標で見ようと、音の本質的な物理現象――空気の振動と伝達――は同一のものであって、両座標において物理は同じである。仮に宙に舞う机を空想して、その机に置かれた画用紙に写生される音は舞うように描かれるかもしれないが、実際の音はそんなふうに舞ってはいない。
 光は空間に対して光速を持つのであろうか? 音については空気がその絶対座標であった。光については空気に対してではないことだけは確かだ。なぜなら真空中でも光は走り、光速  をもつ。現代物理学での光速についての認識は次のようだ。
 地上で  である。気球に乗って空気つまり風と共に動いているときも  である。風よりも速い飛行機の中でも  である。なぜそう結論したかといえば以下の次第だ。

 マイケルソン・モーレィの実験
 もしある空間に対して光の速さがcだとすれば、その空間に対して動いている地球は、例えば太陽に対する公転速度υ=30q/secをもっている。空間に対してcであるなら、地球上での光速は  +υや  −υと観測するはずである。ところが1887年アルバート・マイケルソン (A. A. Michelson) とエドワード・モーレィ (E.W. Morley) による実測――マイケルソン・モーレィの実験――に拠れば、いずれの方角についても  としか観測されなかった。(この実験は、一般には「エーテル理論を初めて否定したものとして知られている」と、今のわたしたちの知識からすれば、誤った解説がなされている。)
   マイケルソン・モーレィの実験

 これについてアインシュタインが説明した《どんな運動をしている誰にとっても、光速は常に不変で  = 30q/secである》というのが今も一般に認められている。これが相対論の元になっている。つまり光が速さcで走る絶対的な空間は存在しないとされている。光を見る誰にとっても、光の相対速度は存在しないとされている。          221日)

しかしこれは誤りであることは、もう一つの実験から明確になる