ビッグバンの疑義 熊野宗治
―迷える物理学―    不定期便第69号 から

空間が膨張しているというのは本当か?――2013.2.9

わたしは有り余った時を費やすために、よくカフェに出かけ、ゆったりとソファにかけて物思いにふける。ときにはこれまで積み重ねてきたものを統括してみるのもいいかもしれない。

 満天の星すべては本来よりも赤みがかっているのが観測される。これがことの発端だった。これは赤方偏移と呼ばれ、赤方偏移を起こすのは星が遠ざかりつつあるために光の波長が伸びて起こす“ドプラー効果”による、と説明されている。野原を行く汽笛が、過ぎ去りざま、音程を下げるあの現象である。

 一旦こう説明されると、それは違うと申し立てる科学者は一人もいない。なぜ申し立てることができないのかといういきさつは、色々とあろう。

 ドプラー効果はまさしく物理的現象であるから赤方偏移のこの説明はいかにもしっかりと物理学に副った説明にみえる。この説明で正しいと受け取った人にしてみれば、宇宙膨張説がもたらされたとしてもおかしくない。宇宙膨張説を遡れば、ビッグバン宇宙誕生説がもたらされても、いたしかたない。ほんとうに空間は膨張しているのであろうか?

 人は両眼で立体視することができる。いくつかの対象物までの、自分の眼からの距離を見分けられる。卓上のコップが1mの距離にあるのか2mの距離にあるのかは、他に比較物がなくても判断できる。

 いま眼の先にあるレンガ積みの柱が、自分が座っているソファから5mばかり先にあって、絵が掛けてある。それらを静かに眺めているとしよう。 ぼくらは、柱までの距離(空間)が膨張していることを実感できるだろうか? 
  もしもビッグバン説が正しいなら、空間は膨張しているはずである。宇宙膨張説が正しいならばだ。

 そしてそうなら、実際には自分は空間が膨張していることを感じることはできないから、自分の眼のレンズと網膜との距離も、空間と同じ割で膨張しているはずと考えざるを得ない。わたしはソファに深く座りなおして、さらに考えを進める。



 自分の手足も縮んで行くようには見えないから、眼と同じように自分の身体も空間の膨張率と同じ率で大きくなっているにちがいない。同様にぼくがいるこの建物全体もまた、大きくなっていゆかなければならない。

 もしビッグバン説を信じるなら、以上のことも疑うことはできない。物指(ものさし)もまた同様に膨張しているから、物指でもって空間の膨張率を鑑定することもできない。2つの対象物が互いに静止しているときの音と、互いに異なった運動速度のために相互に相対速度を持っているときの音とは、ドプラー効果によって音の高さつまり振動数(1秒あたりの振れ数)に違いが生じる。ドプラー効果は互いの相対速度のために生じる。さっき確かめたのは、静かな空間のどの対象物との間にも、相対速度は生じていないことであった。このような等質膨張空間にあって、わたしと柱との距離も、レンズと網膜との距離も、他に比べて特別な運動速度(相対速度)を持っていない。


このことを証明するもう一つの有効な例が実は以前にもあった。