不定期便 第46,47号から    
 
光より速いニュートリノ観測

9月23日、「光より速いニュートリノ観測=相対性理論と矛盾」というニュースが流れました。

  2011923日は、わたしにとって記念すべき日です。この日「光より速いニュートリノ観測=相対性理論と矛盾――名古屋大など国際研究グループ」というニュースが流れました。
 読売新聞には24日の朝刊一面トップに載りました。わたしの著書が正しいことを裏付けてくれる事実でした。   
 2011年 10月 18

 

  相対論見直しに1000年必要――反省のない人類

   
実験事実の発表

私は相対論の誤りが認められ、物理学が物理学として健やかに発展することを願っていました。 相対論のあちこちに見られる辻褄の合わない部分を見出し、これに代わる新しい解釈を提唱しました。
 疑わしい仮説の中で辻褄の合わないことを実証しなければなりません。それらのいくつかのことは実証例をあげ証明しえたと思っています。その他の大掛かりな実証実験は、貯えのない民間人には不可能に近いものです。

 こんなとき、願ってもない恵みが降りかかるという、思いもかけないことが実際に起こったのでした。

スイス・ジュネーブ郊外の欧州合同原子核研究所(CERN)の実験棟から約730キロメートル、イタリアの地下研究所まで飛ばされたニュートリノが、光より早く到達したという実験データが923日、公表されたのです。
 このニュースの示すところは、相対論は誤りだとする小生の説を裏づけるものであります。しかしながら、素直に喜べないものを私は感じました。この実験データを懐疑するすさまじい抵抗がたちまちに起こったからです。

 

発表への抑圧

私は喜びと不安を友人らに伝えました。友人らからの返信の中で、M.M君から(相対論の見直しに)1000年かかるか? という返答をいただきました。
 相対論の誤っていることが世間に認められるまでに1000年かかるだろう、と小生が言ったのは、半ば冗談でしたが半ばは本気でした。身辺のあるかたは5年くらい、ある友人はすぐだと言いました。本当にそうなら喜ばしいことです。しかし現実はそう甘くはありません。

 相対論が見直されるのに1000年もの時間が必要か? それは真理の判定にどれほどの時間が必要か?という問題ではありません。それを現代社会が理解し受け入れるのにどれほど時間がかかるかの問題です。現代社会がその鍵を握っております。

 あの発表があって、実験は信頼できるものか?という反撃がすぐ出されました。研究者の発表に対し、通常その実験過程や方法に嫌疑攻撃が出されることはあまりありません。

 

相対論擁護者からの疑問

@1987年、超新星爆発時のニュートリノが光と同時に届いた観測結果と違う。

A最初から最後までニュートリノは生成できていたのか?

B発射と到達の地点に標高差があって、重力が違う。時間の進み方が違ったのでは?

 などである。

 

 私からの反論

@ついて
 そのニュートリノは爆発時に飛び出したものに違いないのか?が第一疑問です。
 仮に正しいとして、宇宙の長距離を走ってなお同時に到着したとしますと、ニュートリノの速さは光速でなければなりません。相対論での質量は光速で無限大となって、同時に届いたはずがなく、矛盾しています。

 また粒子とはいえ、物質であります。そんな長距離を走って光と同時に着くには、宇宙での減速の機会の可能性を考えると、少なくとも出発時には光速を超えていなければ、1987年の観測はあり得ますまい。

Aについて
 ニュートリノが他の粒子らと衝突して別の素粒子に変わっていないか?という疑問なら、事件に出会ったニュートリノはその時刻に到達し得ません。到達したニュートリノはずっと生成していたと見て、まったく問題ありません。
 この疑問は、@の観測を認める者の疑問としては自己矛盾です。宇宙のかなたから飛来したというニュートリノこそ、その生成の継続に疑問を持つべきでしょう。

Bについて
重力場によって時間の進み方が違うという仮定は実証されているのでしょうか? それが真実だとすれば、麓と山頂でずれてゆく時間はどうなるのでしょうか? 現在の麓と山頂の関係はどちらも秋です。100万年昔は何ヶ月の時間差になるのでしょうか? そのとき、麓と山頂で、それぞれの季節は夏と冬という具合にずれているのでしょうか?
 厳密さで反論するなら、自らも厳密な根拠によって反論すべきでありましょう。

 

なりふり構わぬ詰問。測定誤差ではないか? 粒子の発射時刻と到着時刻との差によって測る装置への疑問、これらには実験データを無効にしようという意図が見え、発表者は新しい報告への圧力や質問攻めに追われました。こんな目に遭うと思えば、相対論に障る事実の発表には慎重にならざるを得ません。
 しかし、発表すべきものを畳み込んでしまうことが起こるとすれば、その損失は大きいものです。こうして相対論に反する発表者には、弾圧といってよいほどの攻撃が降り注ぐ実態を見せたのでした。