論評   相対論は間違っている

2007年1月6日、日本テレビの放映によれば、日本人がアンケートで選ぶ天才のナンバーワンにアルバート・アインシュタインが輝いた。
 番組は、例によって相対性理論にちょっと触れたあとは、あちこちに散らばるエピソードに終始した。アインシュタインが訪れたというホテルにはそのときの写真が温存され、誇らしげであった。




統制的洗脳
なぜアインシュタインは天才ナンバーワンか

2007年1月6日、日本テレビの放映によれば、日本人がアンケートで選ぶ天才のナンバーワンにアルバート・アインシュタインが輝いた。
 番組は、例によって相対性理論にちょっと触れたあとは、あちこちに散らばるエピソードに終始した。アインシュタインが訪れたというホテルにはそのときの写真が温存され、誇らしげであった。

なぜアインシュタインは天才ナンバーワンなのか?

相対論は元々想像上の産物であった。錯覚とごまかしの上に立っていることを見抜いた当時のまともな科学者は採り上げなかった。ばかばかしいものだと思いはすれど、新進数学者の頭を借りた余りにも錯綜したものであったため、疑義を呈したニールス・ボアほか、誰も貴重な時間を割いてまで反論することをしなかった。それは甚だよくないことであった。そのまま三年が過ぎた。
 洗脳には誰かそれをひき起こす者がある。そのころ宇宙論議も盛んであった。重要な科学上の発見はもう十分尽くされたものと思われる時代で、目の前に観察できるものの発見はすでに多くなされ、残るものは誰の手も届かない遥かな宇宙と、同じほど目も届かない微粒子の世界にしかないようであった。その誰も足を踏み入れたことのない世界、十分な観測もなされなかった宇宙については、誰もが比較的自由に意見を述べることができた。私が思うに、物理学にとっては不幸なことに、非ユークリッド幾何学はじめ、ミンコフスキーによる空想的「時空間」や、超常的数学が流行っていた。これらは学問と言うには、奇をてらって捩れたものである。
 捩れた「学問もどき」は、相対論にと同じく、すぐさまわれ先にと宇宙論に利用された。すわ、宇宙は曲がっている。瓢箪のような形だ。紐でつながっている。いや、虫の穴のようなものであって、別の宇宙に続いている。鏡に映したように瓜二つの裏の世界があって背中合わせになっている。果てはパチンコ玉ほどの高密度な中性子からなる宇宙卵から、爆発して誕生したのと、いやはや賑やかなものであった。
 これらのオカルト的な乱説たちに反論する証拠など、いちいち示されたものではない。そうする価値さえなさそうである。それらの内でも、宇宙のゆがみについてのフリードマンの空想理論はまことしやかであった。
 これらの宇宙論学者たちの中に天文学者アーサー・エディントンがいた。彼はまだ未踏に近い宇宙物理学に活動の場を置いていた。すでに多くの物理学者が挑んでいた原子物理学に比べれば、宇宙論には手を挙げる余地が残されていた。天体物理学日食観測探検隊長を務めた彼は、いくつかの科学アカデミーや科学協会に属しもする、俗に言えば目立ちたがりやであったようだ。
 プリンシペ島での日食観測から、アインシュタインが予言した重力レンズ効果を観測できれば、一躍名をあげることができるはずだ。結果は果たして彼の目論みどおりになった。1919年、彼の観測結果はアインシュタインの予言を完全に裏付けるものだ、と発表した。

  
 熊野宗治