それから、さきほどのk系の原点からの光を考える際には、§2で見たとおりの彼自身が示した2-2式、2-3式(これらは正しい)によれば、図解から理解できるように@式とA式でなければならない。ところが彼は運動系であるk系だけに注目し、この系で同じ光速cで往復する式ですませている。すると簡単な@′とA′の式ができた。これらのτ(0)、τ(1)、τ(2)は「時刻」として用いている。§2のt(B) 、t(A)も「時刻」である。これらの「時刻」がいつ「時間」にすり替えられるかおちおち気を許せない。
さて、この@′とA′によって先ほどのc(τ(1) ‐τ(0))=c(τ(2) ‐τ(1))となり、これを変形するとB式が出たわけだった。
さらに、3-3式は等号で結ばれているから、あたかも方程式のように見えるが、その中に記入されているτ(0,0,0,t)等は本来なら式の外に注記されてしかるべきものである。それが中に書き込まれ、訳の分らないものになっている。
その先の3-4式についても、いったい何によって何のために偏微分しようとしたものか、まるで分らない。3-4式は正しいのだろうか? 左辺をtで偏微分しているかと思えば、右辺ではtではなくχ′で時間(あるいは時刻?)を偏微分している! しかも時刻を座標で微分したものは何になるのか? あらゆる場所でことごとく違った時刻が分布しているというのだろうか?(相対論ではそういうことらしい)。χ′は運動系に静止した点である、と最初に設定している。つまり定数であるが、定数で何かを微分することが成り立つと考える数学者がいるだろうか? ここを見るかぎり、アインシュタイン博士はただのペテン師を演じているとしかみえないのだが…。「もしχ′を無限小の値にとると」とあるから、k座標原点におけるτとtの関係を求めたのだろう、それが3-5式ということになる。
結局、この節のここまで、何を言おうとしているのかよく分らない。訳者・監修者にこの部分の理解はあったのだろうか。相対論解説書の中でも、このことに触れたものを見たことがない。W・パウリの『相対論』も触れていない。訳者は3-2式前後で「時間」と訳しているが、「時刻」と訳すべきだろう。 本文に対する批評 原文の続きへ
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