特殊相対論への疑問

B
への
疑問

                       
☆  ☆ 特殊相対論Bへの疑義   ☆ 

文中、3-1式はガリレオ変換でよく見る式だが、ここでのχ′が何をいうのか説明がなく、3-1式自体が何を表わすものか判じ物になっている。よくこれで論文として通ったものだと思うが、仕方がない。われわれはそれを推し測らなくてはならない。

Pがk系で静止しているならX軸上のP(0)(PのX座標)について、3-1式が成り立つイメージは図2でしかありようがない。これで見ると、χ′はξと書くべきであるが、そうでなければO′P(0)間きょりをK系の座標での間隔でとってあることになる。もう、これまでに彼の考え方を見てきたわれわれは、これくらいで驚くまい。

念のためにχ′をK系の座標として辻褄を合わせてみると、図1となるが、これは点Pを定常系K座標だけの中でυtの運動をしている点と考えればすむことになって、運動系kは不要となってしまう。しかもυで運動するPのX座標はχ′でなくχでなくてはならない。

 さて、図2でよいとすると、たしかに
  
となる(ただしχ′はξ座標の値だ)。
 P(0)がk系に対して静止しているなら、χ′は不変である。
 次の光線のことに移ろう。図2-1はk系の原点からχ′へ向けて光が時刻τ(0)に出発する。説明文を読むかぎり、τ(0)、τ(1)、τ(2)は時刻のことを言うようで、そうすると、2-2式の計算法によれば
  (c ‐υ)(τ(1) ‐τ(0))=χ′ ……………………@
 これは図2-2を見れば
   χ′ +υ(τ(1) ‐τ(0))=c(τ(1) ‐τ(0))
となっていることが分り、これは@式である。同様にχ′で反射された戻りは2-3式によって

   (c +υ)(τ(2) ‐τ(1))=χ′ …………………A
 となる。
 しかしここでアインシュタインは、光が相対速度(c±υ)となることを無視して、つまり図2だけを頭に置いたであろう、k系で静止して見えるO(′)P(0)を単に光速cで往復するとしている。そうすると@およびAは
   c(τ(1) ‐τ(0))=χ′ ………………………@′
   c(τ(2) ‐τ(1))=χ′ ………………………A′
となる。両式は右辺が等しいから
   c(τ(1) ‐τ(0))=c(τ(2) ‐τ(1))
とおけばτ(1) ‐τ(0)=τ(2) ‐τ(1)となって
   (1/2)(τ(0) +τ(2))=τ(1)………………………B
が得られる。おそらく彼に言わせれば、往きと帰りの時間が等しく、時計に同調している、ということになる。しかし、もちろんこれは@、A式が正しく、光がk系の原点Oからχ′に向かう間にも、静止系Kに対してχ′はυの速さで動いており、そうするとτ(1) ‐τ(0)≠τ(2) ‐τ(1)であることが読者の方にはお分りだろう。これはB式と矛盾する。
 さて@、A式から
   τ(1) ‐τ(0)=χ′/(c ‐υ)   (往き)
   τ(2) ‐τ(1)=χ′/(c +υ)   (帰り)

である。k系のτを、出発時τ(0)についてK系でtとすれば、帰還時刻τ(2)(往復)はt+である、としてこれら(正しいほう)をB式に入れて3-3式の左辺ができている。ここでふと疑問に思うのは、τ(0)とtが同時であることをどうやって確かめるのだろう。

右辺τ(1)は往きの時間を使ってτ(1)=t+としてある。ところで、読者の方はここまで読まれて頭が混乱しているだろう。混乱されて当然である。アインシュタインがここで書いていることは、ほとんど行ごとに言うことが違っている。われわれは日常、午後1時と午後3時とを加えるというような計算はめったにしない。

それから、さきほどのk系の原点からの光を考える際には、§2で見たとおりの彼自身が示した2-2式、2-3式(これらは正しい)によれば、図解から理解できるように@式とA式でなければならない。ところが彼は運動系であるk系だけに注目し、この系で同じ光速cで往復する式ですませている。すると簡単な@′とA′の式ができた。これらのτ(0)、τ(1)、τ(2)は「時刻」として用いている。§2のt(B) 、t(A)も「時刻」である。これらの「時刻」がいつ「時間」にすり替えられるかおちおち気を許せない。

さて、この@′とA′によって先ほどのc(τ(1) ‐τ(0))=c(τ(2) ‐τ(1))となり、これを変形するとB式が出たわけだった。
 さらに、3-3式は等号で結ばれているから、あたかも方程式のように見えるが、その中に記入されているτ(0,0,0,t)等は本来なら式の外に注記されてしかるべきものである。それが中に書き込まれ、訳の分らないものになっている。
 その先の3-4式についても、いったい何によって何のために偏微分しようとしたものか、まるで分らない。3-4式は正しいのだろうか? 左辺をtで偏微分しているかと思えば、右辺ではtではなくχ′で時間(あるいは時刻?)を偏微分している! しかも時刻を座標で微分したものは何になるのか? あらゆる場所でことごとく違った時刻が分布しているというのだろうか?(相対論ではそういうことらしい)。χ′は運動系に静止した点である、と最初に設定している。つまり定数であるが、定数で何かを微分することが成り立つと考える数学者がいるだろうか? ここを見るかぎり、アインシュタイン博士はただのペテン師を演じているとしかみえないのだが…。「もしχ′を無限小の値にとると」とあるから、k座標原点におけるτとtの関係を求めたのだろう、それが3-5式ということになる。

結局、この節のここまで、何を言おうとしているのかよく分らない。訳者・監修者にこの部分の理解はあったのだろうか。相対論解説書の中でも、このことに触れたものを見たことがない。W・パウリの『相対論』も触れていない。訳者は3-2式前後で「時間」と訳しているが、「時刻」と訳すべきだろう。  本文に対する批評    原文の続きへ 

  熊野宗治