特殊相対論への疑問

D

疑問

                       
☆  ☆ 特殊相対論Dへの疑義  ☆  ☆

特殊相対性理論の結論まで来た。ほんとうにわれわれも、どんなにか霧の中におかれ、道に迷いそうになったことだろう。ここでは前に言ったことを無視してξ=βχ(4-2式)としている。4-4式は、3-1式でχ(′)=0のときにしか、こうはならない。そしてχ(′)=0なら、3-7式からτ=tとなってしまう。χ=υtを4-5式に適用することは、しかるにτ=tを入れるに等しい。にもかかわらず、4-6式がつくられτ≠tとなっている。この矛盾は4-4式の誤りであるか、おとぼけによるものだろう。また、回転楕円体の話は、前節3-16式のすぐあとにある「共に球面波となる」にまったく矛盾する。

相対論者間では、頭が変になりそうないきさつはもう考えないことにして、以後、不条理にも、ここのξ=βχ、τ=(1/β)tが用いられることになる。

運動するものは運動速さに応じて縮んで見える、ついには「縮む」となる。時間は1/βの率、1秒あたり1 ‐ 1/βあるいはυ/2cだけ遅れるという。υ/2cはベキ級数展開による1 ‐ 1/βの近似式で「4次以上の高次を無視」とは、その3次までの近似である。

地球を発って長旅から戻る人は、さぞかし地上の人より若い(時間経過が少ない、したがって人の寿命がアインシュタインの時計に同調すると、どうして言えるものだか分らないけれども)だろうという。極地の時計に比べ、赤道の時計は遅れると彼は言うのだが、赤道から見て止まって見える極地の時計は遅れないのかしら、遅れるのかしら? 彼の言う「対称性」から言えば遅れるはずはずだが。北極星と彦星とではどうなんだい? 太陽は地球や火星よりいくつ歳をとっているだろう? なんだか愉快な気持ちになってくるから、あぶないあぶない。

あらゆる場所に違った時計が住みついていると彼は言う。時刻を座標で微分するという芸当さえやってのけた。あれ以後どこへも登場しない3-5式は何のための式だったろう? あの式から、場所による時刻、すなわちこのあとの一般相対論に言う「宇宙の歪み」に相当する時間の歪み、として「時刻勾配」へ導こうとして失敗したものであろう。きみが学校に行けばきみは学校の時計とともにあり、自宅の時計はきみの居ぬ間に勝手な時を刻んでいる。そういう話を立派な科学者たちが信じていることを、きみは信じ給うや? しかし、実にそういうことなのだ。

とんでもないことをまことしやかに語る、その人は天才であった。世界中のどんな賢人をも騙せた才能には惜しみなく「天才」の名を冠せよう。人を騙すことが仕事である詐欺師にとっては「経典」と呼んで、まず間違いない。その技を磨きたいなら相対論を学ぶのも無駄ではなさそうである。

まだすこし残っている。ついでのことだから読み終えることにしよう。

  AIU Planners Co., Ltd. 熊野宗治