元になった実験                    

マイケルソンとモーレーの実験

 1860年頃には、光は有限の速さで伝わるらしいことが分ってくる。音を伝えるのが空気という媒質であるように、光も光を伝える「媒質」があるに違いない、としてエーテルと呼ばれた。地球が絶対的不動の空間のなかを動いているとすれば、方角による光速の違いを観測することによって、地球の絶対空間に対する「真の速度」が知られるはずであった。
 そこで光の速さを求めるさまざまな観測が行われたが、おかしなことに、どの方角を測ってみても光の速さは同じらしかった。地球がエーテルに対して運動しているとすれば、光の観測によって光の相対速度が検出されるはずであるのに、どういうわけか誰もそんな現象を捉えることが出来なかったのである。

 そんな中で1881年、マイケルソンは画期的な方法を思いついた。それは光の干渉という性質を利用して、波長の精度にまで精密に光速の違いを観測できるはずであった。地球の運動する方向にそって測った光の速さは、この運動に対して直角の方向からくる光の速さよりも大きくなるはずだ。しかしまたもや、その方法によっても、進行方向による光速の違いを観測することが出来なかったのである。さらに1887年、マイケルソンとモーレーはもっと精密な実験を行ない地球の運動方向とそれに直角な方向で、光の速さを比べたのである。しかし、その方法によっても、進行方向による光速の違いは観測することが出来なかった。

 マイケルソン干渉計は、ハーフミラーによって光を地球の公転方向と太陽方向との2方に別け、再び合流させるならば、2方の光速の違いからその行路差に応じた干渉縞が観測されるはずであった。その装置は次のようなものである。

 水銀に浮かべて水平に置かれたM・M(マイケルソン・モーレー)の実験装置は図のようで、45度傾けて置いたスプリッター(ハーフミラー)の左方に例えば光源がある。そこから入射してスプリッターで反射された光は図の上方(地球公転の半径方向)へ、透過したものは右方(公転方向)へ別けられる。
 それぞれは等しいアーム長 L
1=L2=の先に直角に置かれたミラーで反射して戻る。
上方から戻ったものはスプリッターを透過し、右方から戻ったものは反射して90度下方に向きを変え、両者は重なり波長のずれが観測されるはずである。
                       熊野宗治