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不定期便 9号

普段物理学
   第6話 ――009.10.3
 
 
発行
0103月23日
発行者
熊野宗治
    「あるある。ちょっと目には興味を抱かせるね。じじつ自分も面白いと思ったことはある。…けど、賛成はしかねまんな」
研究員はすこし考えるようにしてそう言った。
 「どうして? そいつはロケットに比べ著しくローコストで宇宙旅行が楽しめるんだよ。だいいち、酸素を消費しないので環境に優しい。気軽に行って帰れる。きっとそのうち、エレベータの降り口ちかくには宇宙ステーションホテルが建設される。そこを拠点に、ゆったりと離れてゆく宇宙船に乗って、宇宙旅行に出かけることができる。いよいよ宇宙時代の幕開けになるだろうじゃないか」
 「そう、たしかにそれは魅力的な夢を抱かせまんな。せっかくお喜びやのに、なんやけど葦さん、そら、えろ交通障碍になる思いま」

 
きょうのカウフマン君――カルル・シュヴァルツヴァルト・カウフマン君――はめずらしく流弁である。科学技術者たちの情熱に水を差したいわけじゃないよ。けどその開発研究自体を着手すべきやないし、進めるべきやない。自分は、はなはだそう思う。そう言って、まだすこし関西風ドイツ訛りが残るかれは熱く語りつづける。

 これまでの歴史に学ぶところによれば、人間、いちど始めた技術研究は止まることがない。誰かが一歩進めたら、他の人物が2歩目を進めたがる。その途上に困難が発生すれば、その困難を克服しようとする研究熱がさらに注がれる。一旦研究費を使うと、それを回収せよという指令を受け、続行せざるを得なくなるだろう。誰にも止められたもんじゃない。こうして、実現されるまで続けられる。

 そうならないために、最初に、「それは行なわれるべきでない」という、全世界でのコンセンサスが必要だね。もっとも、宇宙エレベータなんてものは、実現性は無いとぼくは思うから、そう心配はしてはいないが。

  「いや、そういう君の意見を聞くと、何が何でもという気は失せる。なにぼくだって、積極推進派じゃないさ。でも、実現しようと思えば
  

科学の害


 理論自体が物理学を破壊することもあれば、科学が生命環境を破壊することもある。


 第6話 突き進む狂気

     

宇宙エレベータ  
 「君、テレビや何かで、宇宙エレベータに関する番組を見たこと、ないですか?」
 しばらく黙りこくっていた葦郎が不意に口を開いた
 地下階にも一群の研究室があって、それらに囲まれるようにしてあるこのラウンジは、すこし暗い。外の暗さが流れ込んでいるからであろう。外はサンクというか、光庭になっている。豊かな植え込みがつくられ、池に立つ壁面を伝って、音もなく滝が流れている。木々の先は青い空へ抜け、その梢から漏れくる光のせいか、このラウンジは、研究施設にしては珍しく風趣を湛えている。週明けからかかるつもりの実験のために準備作業をしていた二人は、ひと休みしているところだった。
 葦郎が口にした宇宙エレベータとは、紐に通した五円玉のようなもので、その紐は地上から静止衛星までつながるのだという。五円玉がそのエレベータの箱に相当する。
 

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 それが不可能とは言えないんやないか。それが怖いね。自慢するほどの技術力が必要だとは思わないね」
 とは言いながら、葦郎は続ける。
 「しかし、君に言われてみると、宇宙開発時代に入って、宇宙で役目を終えた、いわゆる“宇宙ごみ”は恐ろしい勢いで増加しているらしいぞ。地上で深刻になってきたごみ問題と同様、またまた、世界ぐるみで宇宙公害をひき起こすことになるんだろうかね」
 そうですとも、とかれは受ける。

「さっきのような、とてつもない計画が仮に実現するとしようやないですか。宇宙航空上の支障になること、夥しいです。その施設が破壊したときの災害もごっつ甚大や思います。空から降ってくる大崩落や!
 災害を避けるために建設地を島嶼などに限るとしたって、そんな決まりごとなど守らない国がきっと出現する。もし、1箇所たりとも完成すれば、もはや1箇所ではすまないだろうさ。
 
そうして二人は想像の連鎖に入った。わが国もわが国もと後に続いて、この危険設備は幾何級数的に増大するに違いない。金を溜めた資本家たちは、儲かることなら何でもやろうとするだろう。
 
現に、核兵器の開発が一旦始められるや、それが完成するまで止まず、さらに強力なものを開発しようとされている。インターネットの普及をみたって、いちど獲得した社会技術は二度と手放すことはなさそうだ。非常に人道を外れる核兵器さえ、廃絶することは困難を極 めている。まして、“便利”をもてはやされるであろう宇宙エレベータは、完成したが最後、決して無くせないことになるだろう。「これがどんな悲劇をもたらすだろうか」二人の対話はそれから次のように進んだ。
 「宇宙開発にとって有益どころか、非常な障碍となるにきまっている」、ちょっと想像して、宇宙での事故の危険性を、どんなにけたはずれに増大させるかを考えてみようやないか。
  

 仮に宇宙空間での物体間の距離が、図のように、物体の大きさのn倍であるような空間密度であると考える。このときの物体が他と衝突するかもしれない位置にあるのは、nの3乗分の1であるが、物体が連なった線状である場合にはnの3乗分のnつまり、nの2乗分の1と、n倍にも増加するわけね。空間の空きが物体サイズの1万倍だとすると、事故の確率は点で存在するときよりも1万倍も高くなるわけだ。

 「もしもこれまで、宇宙での衝突が一度も起こったことがなく、その可能性がゼロであるなら、1万倍してもゼロとなり問題ない、と言う人もいるかもしれないがね」
と葦郎が言うと、かれは
「それで実際、どないな危険が潜在するもんやら、ぼくは調べてみたです」と、以下のようなことを語った
 宇宙開発に伴って発生した宇宙ごみのことを“スペースデブリ”と呼ばれている。高速なデブリたちの相対速度は、実例によれば、金属の板に衝突した小さなデブリが穴を貫いて小さなクレーターをつくるほどだ。フリー百科事典『ウィキペディア』によれば、1996年のミッションで若田光一宇宙飛行士が回収した日本の宇宙実験室には、500箇所近い衝突のあとが確認されたという。そしてカールは「宇宙での事故は頻繁に起こると考えなあかんようです」と言い、次のように付け加えた。

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 デブリ等を観測する活動はスペースガードと呼ばれ、アメリカの宇宙監視ネットワーク SSNや、ロシアのSSSなどがあって、約10cm以上のデブリをカタログに登録している。日本でもBSGCとKSGC の2施設でデブリの監視が行われている。カタログ登録されたデブリの数だけでも約9,000個に及ぶという。

 1963年、反射層が長距離通信を可能にするとしてマサチューセッツ工科大学のリンカーン研究所が行なった実験で、長さ2pの銅製の針が高度3,5003,800km、傾斜角8796度の軌道に散布された(『ウィキペディア』)。
 
「これによって電波を反射させるいうんです。信じ難いことでんな」
 散布した針は4億8千万個に及び、国際的な批判を浴びたという。
 「いまだに多くの針が軌道上を周回しとるいうから、放っといたら、科学技術者はなにしでかすかわかりまへんなぁ。科学技術者を育成する教育の課程で、学童なみに、科学倫理という教科を必須で行なわれなあかんのやろか、おなじ研究者として恥かしゅおすなぁ」

 (2009年 10月3日 S君への手紙を脚色)
 


















    
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