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不定期便 45 011929

 返信時のニュース
            ――011.9.24

 発行
011年9月29日
発行者
熊野宗治
 
  
 志郎君への手紙とニュースの件

なぜ新幹線の車中で玉の速さは違って見えないのか            

 
 親愛なる志郎君

9月15日付けで、いつになく力のこもった、しかも分厚いものを頂戴しました。光に関するこれまでの諸学説を、さすがよく調べられましたね。
 科学史上の出来事(発見や新学説)は、学究する者に元気をくれます。これら、これまでの経緯を一応知っておくことは意義あることだと小生も理解しています。

 さて貴君はまだ相対論は正しいと言われますか? それではこれはどうです?  

貴君のテーブル上で毎秒1メートルの速さをもって物体(小さい球)が君の方へ近づいている。それを貴君でなくA君と呼ぶことにしましょう。A君は実は時速360kmで走行中の新幹線の車中にいる。

    マイケルソン博士の時代の見方であるが、列車は秒速100mもの速さで走っているのだから、A君はその物体の運動に対して真横から見たり後方から見たりしたとき物体の速さはそれぞれ違った速さに見えなければならないと思った。しかし、横から測ってもいかなる側から測っても同じ1msecであった。A君は前方から見たら秒速101mで、背後からは99mであると観測されるはずと思ったのである。A君はなぜどちらから見ても秒速ぴったり1mにしかならないのか不思議がった。傍観者B君はそこで、この球の速さはどんな座標にあっても不変な1msec であると説明した。
 貴君はこのことをどう説明しますか?

 つぎに、秒速100m で走行中の車中でその秒速1mの球が光を放った場合、A君から見てその光の速さは、貴君が正しいと信じている相対論によって秒速何kmになると貴君は説明しますか? cですか? なぜcですか? それは何に対してですか?
 球が車中で静止していた場合にはA君の見る光速(球の速さではありませんぞ)はやはりcですか? 列車が停車している場合だったらどうですか?
 また、球は走行する車中で静止しているが、自分のほうが球へ向かって1msecで近づきながら光る球の光速を測定したらどうですか?やはりcですか?
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    不定期便  第45号
 もしそうなら、そのことを図示しながら100人いたら100人に分かるように説明してみてください。但し、その説明は相対論に基づいていなくちゃいけません。
 貴君がその相対論に基づいて説明してくれたら、その説明中に矛盾の起きていることをその後小生は指摘することにしましょう。貴君はその矛盾を、誰にでも納得できる説明で解かなきゃいけない。

光はどこを走るのか           

貴君は光は真空中を光速cで走ると言いましたね。光が真空中でも伝わることは小生も認めます。小生が言うときの光のエーテル(媒質)とは、物質のことを指していません。通常に媒質といえば、物質のことを指しているでしょう。光は物質ではないと小生は考えています。エーテルは存在しないと主張するならしてもよいです。しかし、それなら光は何に対する速さであるかに答えないといけません。その何は何か?です。

 電場や磁場、もちろん重力場も、真空中に充ちています。場は物質ではないから、それらの場が存在しても真空である空間はありえますね? 普通真空というときにはその真空の範囲に物質の何者も存在しないことでありましょう。物質とは質量を持つものを指し、真空な空間とはその空間に質量がないことを指すと言ってよいでしょう。つまり磁場は質量を持たないんです。真空中に重力場は真空条件を乱すことなく存在し得るわけです。光が磁場と電場と重力場の相互変換であるとすれば真空中でもそれは起こりえて、その進行速度は道端の電信柱や人間の妄想する座標など全く関係なしに生じているんです。

   貴君が相対論を信じ、小生の理論は認められないというのならそれでよいです。ただし、貴君がそう断言するには、小生や他の相対論懐疑者によって指摘される相対論におこる矛盾を解いてみせ、次に小生が主張する理論が間違っていることを示す根拠(実証)を示されるべきです。(小生が相対論は似非物理学であると言及したにはちゃんとした指摘と理由を述べています)
  それは「偉い誰かがそう言うから」というのでは 納得できませんぞ。ただの歴史家としてならそれでもよいが、自然の謎と未知の真理を解こうという科学者としての態度ではないです。自然の真理は誰かが言うから正しく、生意気な誰かが言うから間違いであるということは決してないと小生は考えます。
 誰かがそう言うから、というのでなく、自ら考えてその考えを自ら発言しなけりゃいけません。誰かの意見を裁定するときにも、もっと偉い誰かの偉影に頼ってはいけないです。

どうか貴君自身の頭で考えてくれ給え。虎の衣を借りて自然科学(特に物理学)はできません。最も偉いのは自然自身ですからね。たまたま昨日(9月20日)だったかのTV放送によると、ブッダの言葉に「自分を灯明にせよ法を灯明にせよ」というのがあります。正しい考えのために原因と結果を突きつめること、自ら考えて正しい方向へ進むべしというものでした。ここで法とは自然の法則のことを云うと言っています。
 補足しますが、車中の悩めるA君とはマイケルソン実験結果を解釈した科学者のことを指しています。そしてその実験とは、マイケルソンの最初の実験、マイケルソン-モーレー実験のことを言います。

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重要な(相対論者にとっては具合の悪い)MGP実験のほうは史実としては普通伏せられていますからね。
  ニュートンが光の粒子説を言ったのは、あの時代、仕方がないと小生は考えています。万有引力法則についても、目に見えない力(場)というものの存在を初めて言い出したことで、当時では彼自身なにか宗教者と同類な迷信的なものに感じたでしょう。現在に生きている私たちだからこそ言える事ですが、光の粒子説には、硝子に飛び込んだ光速は遅くなるが、硝子から空中へでると再び速さを増すことは物質だとすると矛盾がありましょう。
 偉大なひとりの科学者が考えた全てに亘って正しかったことはむしろ希です。中に1つ2つ誤りがあったとしても、それで新しい考え全てが否定されなくてもよいと思っています。貴兄も偉大な化学者ラボアジェにして間違った原子論を主張したことのあることをご存知でしょう。設問に対する貴兄のご回答を期待しております。

 この問への解決に当って貴君は、貴君が書いてくれている「ここにエーテル仮説には重大な矛盾があることになった。この事態を解決したのがアインシュタインの相対論である」は、史実としてはそう記述されているかもしれないが、これには単純な取り違えのあることがわかるはずです。
 貴君からのご返事を待って、まだそのことがよく分かっていないなと思ったら、も少し詳しく分かりよく説明したいです。
 そしてまた、貴君の「今の高校物理で相対論には触れないようになっています」は、それで正解だと思います。相対論はこれからという若い研究者たちに無駄な精力を使わせます。人類に甚大な損害を及ぼしています。なんとかしなきゃいけません。
  ラボアジェの間違いには1箇所だけ正せば済みますが、糸のもつれみたいな相対論は厄介です。聞く耳を持たず、なかなか救い出せません。小生の友人たる貴君からして、未だにアインシュタイン教祖の元から引き出してあげられない始末ですからね。


 余興の、屋上池の試みの残りを差し上げてみようと思っていましたが、次回にしましょう。これをしたためている最中に、ニュースが流れ、「今回の観測結果は、この理論を覆す可能性を秘めている。相対論は物理学のさまざまな領域の理論的支柱になっているほか、…修正されれば影響は甚大だ…」と新聞に出ました。秋に向かって体調を壊さないように願います。

         平成23年 9月24 
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