印刷用は         不定期便  第60号
 
 不定期便 60 012101

 原発ゼロは非現実か?
            ――12.9.28

 発行
012年10月1日
発行者
熊野宗治
 
  
読売新聞9月18日朝刊 から


読売新聞社説 電力維新シリーズ 1
   
《解散風 安易に「脱原発」》によれば、
 2030代、原発稼働ゼロを目指す」政府の革新的エネルギー・環境戦略が決まった。だがその内容は多くの矛盾を抱える。問題点を検証する。
 
「まずは最大限のことをやっていく。すべてはその先の話だ」枝野経産相は15日訪れた青森県でこう述べた。
 
2030年代原発ゼロ」は実現が不透明な努力目標だ。核燃料サイクル政策や中断していた原発建設は予定通り行う――。経産省は、政府の戦略を自ら骨抜きにした。野田首相は大飯原発再稼動を決めた6月に「原発を止めたままでは日本の社会は立ち行かない」と明言。
 「2030年原発比率15%」を落としどころにしていたが、7月から始まった意見聴取で「原発ゼロ」が優勢になると早くも「玉虫色の決着」を模索し始める。「脱原発」論者として知られる富士通総研の高橋洋氏を内閣府参与に据え、原発に批判的な民間エコノミストらを集め、脱原発を打ち出したドイツの例などを中心に理論武装を重ねた。だが、そこでの議論は、原発ゼロを可能にみせるための厚化粧を施したに過ぎなかった。

 
……
 しかし、原発ゼロを支持した人の多くが、その負担の大きさにまだ気づいていない。風力や太陽光発電の普及には38兆円かかる。中身は「丁寧な情報開示で説明する」としか書いてない。


   風力や太陽光発電の普及には38兆円かかる。中身は「丁寧な情報開示で説明する」としか書いてない。20年以上先をにらんだ厚化粧は「近いうち」に完全に剥がれ落ちかねない。》――と書いている。厚化粧とも思われないが、剥がれ落ちない、とわたしは考えている。

 ひと月とすこし前にも、同紙経済部次長という人が社説 一筆経上 で
政府は2030年の電力のうち原子力が占める割合として「0%」「15%」「2025%」の選択肢を示している。全国の意見聴取会で発言した約7割は「0%」支持だ。だが、原発をなくした場合、経済にどんな負担がかかるのか、冷静に検討する必要がある。「再生エネの普及と省エネ型社会で乗り切れる」という主張は根拠が示せていない。
 
経済界は、3つの案について「いずれも再生エネなどの目標があまりにも楽観的だ」(経団連会長)と手厳しい。
 
そもそも、3つの案は、1%程度の経済成長率が前提で、経済成長を実現すれば電力不足になるという矛盾が浮き彫りになる。国民に意見を聞くのは「国民受け」するかもしれないが、現実離れしたシナリオでいくら議論しても、将来のエネルギー戦略を描くのは難しい。(8月5日朝刊)》――と書いている。
 

思慮のない偏った社説だ  928 


 私はこれを、半ば怒りを持って読んだ。この社説に共感して、というのではない。
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    不定期便  第47号
 危機感を煽っているつもりであるらしいが、現に、ほとんどの原発が停止しているいま、原発に頼らないでも、立派に社会は稼働している。
 原発のメカニズムを簡明に言えば次のようだろう。
 放射性元素の核崩壊は核自体がおこしているものであって、人はそれを濃縮して互いに近寄せることによって、人為的に崩壊頻度が高められた核自体の連鎖反応として高いエネルギーを得ている。その速度を緩めるための操作とは、放射粒子を吸収して反応を弱める制御棒を、差し入れるのみである。

つまり、原子炉で制御できることは、最もうまく行った場合に、核の自然崩壊まで落とすことである。崩壊をまったく止めることはできない。制御システムに不具合を生じたときは核崩壊が暴走し、ついにはメルトダウンを起こしてしまう可能性はきわめて高い。このように高くなった放射線の嵐のなかに、(操作技師の)人命をいけにえとして投じることをするのでなければ、爆発の危険に対処することも出来ないことを意味している。

 だから、このような人道に反する産業機械は、建設してははならない。経済論や世論を勘案して決める問題、()()ない(ヽヽ)のだ。

自然現象である核崩壊を止める人工的な方法はない。これまでのところ、産業技術に関しておこる問題を、政治的判断だけでなんとか収拾できてきたのは、それが機械の暴走を止める方法を持っていたからだ。工場などの電動設備での問題なら、電源を切れば機械が動き出して起こす事故は防ぐことができよう。微生物や薬物なら、密閉したビンなどの容器に入れておけば、手にとってみても安全だ。高圧蒸気なら弁で閉じられる。自動車なら燃料を断てば止まる。エネルギーを提供する機械はみな、なんらかの危険性を伴うものだ。

   「利用のためには危険が伴う」として、大抵のことを容認してきたのは、これらのものはその危険をいつでも断つことができるからで、原発だけはそれができない。放射性元素の核崩壊は、人工的に止められない、原子核が持つ自然の性質だからである。
 「原子力安全庁」構想が持ち上がったことがあるが、この庁の実現は、原子力開発を続行することの基となる。政治の性格上、省庁ができて、それを否定する計画が考慮されたためしがない。これまでのように、危険には安全対策で克服できると考えるだろう。参考意見は御用学者から、ということになる。
 ――人間社会の最も大きい危険は、物理学を学んでいない分野の人がこの社会を構成し運営していることにある。
 かつて広島で被災したある人が、「兵器としてでさえなければ」という思いから、「原子力の平和利用をよいことと信じてきたことが口惜しい」と、何十年ものあいだ自分が間違っていたことを口惜しがっていた。
 核物質に人が近づくことはできない。あの白い服は気休めだ。汚染環境では、裸でいるのと同じだ。せめて現場を離れたら、服に付いた塵から遠ざかるために、急いで脱ぎ捨てなければならない。
  そんな核物質を自分の身近な道具として用いようとすることなどできない。利用するためにはそれを制御しなければならず、完璧な制御の自動化など、できっこない。自動制御の故障がたとえ0・1パーセントに満たないとしても、おこらないといえないものであるかぎり、決して人のための利用はすべきではない。その安全性を高めるための省庁をこしらえることは、意味がないばかりでなく、有害である。再び言おう。――恐ろしいのは、この社会を取り仕切るのを、物理学を理解していない人たちに任されていることだ。
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 不定期便  第47号

原発コストはほんとうに安いのか?                     928

 
 自然エネルギーに比べ発電コストが安いというが、設備の占める面積が小さい、エネルギー変換が比較的単純という点にあるのではないか。その他の、配電や変電に関するコストは他の発電と同じであろう。
 ところで、原発による電力の製造原価には、次のことが含まれていない。1.核廃棄物処理費 2.核物質汚染による被害者への補償費 3.事故による損失 4.周辺(住民、農民、漁民)に与える風評被害額、
 すると原発のコストは、ゆくゆく、電力会社とは関係のない国民への課税負担と被害者による負担によっている。

しかも、電力会社役員給与は他の平均的な企業の3〜4倍、中小企業に比べれば10倍と云うではないか。東電に対する怒りは抑えきれない。
 そしてあの記事は大げさな語を用いて片方の意見を強調し、反対意見に毒づいている。「可能にみせるための厚化粧」「自然発電の普及には38兆円かかる」とは、いかなる根拠であるか。「(自然発電の普及には)丁寧な情報開示でとしか書いてない」のは当たり前だ。これから努力してゆく工夫を、明確にできるわけがない。理想として追い求めることが大切であろう。
  さて、どんな事情を考慮するにしても、原発を行うべきでないことは先に示した。原発なしには生活に電力が不足するから必要、就労の場になっているから必要、経済成長のためには必要、という必要論の天秤にかけて決めてよい問題ではない。まして、政治家による権力が決めてよいものでも、経済界のドンたちが決めてよいものでもない。
 新聞社(メディア企業)という経済界人の見方を、専門上優位な立場を利用して、

  偏った社説にして第一面にデカデカと掲載する行為は、決して民意を代表しているとは言えず、むしろ企業家の暴力と呼ぶべきではないか。多くはこうして、成功した資産家たちの都合に沿って造り上げられる、勝者たちの論理だ。マスコミのつくる世論の多くは真の民意ではなく、民意にみせてつくられた世論である。マスコミによる報道は、すべてが同じ方向に一斉に動くという性質を持っている。少数の考えイコール間違った考え、とは必ずしもゆくまいに。
 いくらかの例を挙げてみよう。
 

しわ寄せされる景気対策  928

   (一部略します)

景気対策の妙薬のように繰り返し繰り返し唱えられるデフレ対策必要論は、折にふれ国民に刷り込まれている。おそらく国民の多くが、必要なのだと信じているだろう。だが、デフレ対策(デフレ抑制策)は余生のためにわずかな金を貯金している貧しい高齢者、あるいは年金生活者を、たとえば私のようなものを、さらに貧しくさせるための方策だ。代わりに、何かを生み出すことのできる財貨を持った財界人たちには、有利な論理だ。借金を目減りさせたい政府に有利な論理だ。
 資源のない国では、労務費が安くなければ他国に伍してゆけない。ところが、大企業は資金に任せて人件費の安い国に出て稼ぐことができ、そうした役員給与の豊かな儲かる企業にとって、インフレはぼた餅となる。インフレは(大企業の)帳簿の見栄えをよくする。製品に、労せずして高い値段がつけられるわけだから。労働賃金は相対的に低下してゆく。こうして貧富の格差を拡大させる。これが、
財界――経団連――が進めようとする景気対策の(大企業のための)正体だ。こうしたメカニズムによって、国民は刷り込まれたことに気づかず、自分の

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     不定期便  第47号
希望はこうだったのだ、自分の世論だ、と思い込まされるのだろう。わけも分からぬまま、デフレ脱却によって景気をよくしてくれるはずの政党に投票し、格差社会を進める。社会における間違った常識の例だ。

 好景気の
結果として、物価高というインフレは現れるものだ、とわたしは考える。景気は原因で、インフレは結果だ。なのに物価を上げたら(デフレ対策で)景気がよくなる? それって、1億円の豪邸を建てて待てば宝くじが当たるってわけですか? まったく逆でしょう?


 わたしが多分に世間知らずだったことを晒さなければならない。なぜあのような偏った社説が掲載されたのか。
 あとで知ったことだが、
正力松太郎氏が元この新聞社社主で、氏は熱心に原発を導入した張本人だった。(後日記入)

























 
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