光速の背景    次ページ
 はじめに
わないことがあって、その数が神の法則にしてはあまりに多すぎるからです。これに代わるべき、あらゆる矛盾を解消する理解が得られるべきです。
 ここに乗り合わせた筆者に与えられた使命は、この二大障碍物の再考慮を促すことにあったと、今では信じています。そこで、これを達成できるかどうかは、わたしが導かれた理論が正しいものでなければならないのみならず、諸君に受け入れてもらえるかどうかにもかかっています。わたしが唱えるからではなく、誰もが自ら、なるほどそうに違いないと、矛盾のない理解に達していただけるかどうかにあります。この本を書いたのが誰であるかは問題ではありません。もしわたしの身分を明かしたとたんにこの信頼が失せるものであるなら、まだ真に理解されたとはいえません。
 またもし、この新提案に、いささかでも矛盾が見つかるなら、この提唱も疑ってみる必要があります。諸君の厳しい目が必要です。

 後半では、このような新しい芽生えがいかに摘まれ、抑圧されようとするのか、その困難の
(みなもと)を探り、拓くべき未来への方法について述べます。諸君がこの先、遭遇されるであろう困難に、果敢に挑まれて、真の科学に向かわれる方々の出現をわたしは期待します。

 世界で最も優れた理論として通っている学説が、じつはひどく間違ったものであるとわたしが言えば、世間はなんと言うでしょうか? その重大な通説―― それは科学者の間で定説(正しい)とされています――について触れ、誤りであると判断した論拠と証拠を、第2章で提示します。若い方がそこへ陥れば大きな損失になると思うからです。
 それが間違いだとすれば、正しいのはなにかを探すのに正直、長い時間を費やしました。その結果見つかったことをつぎに述べてあります。その例では常に“物理的探究”という、実際にどうなるのであろうかと疑うことから、あくまで現実論として思索を深めることにありました。そして、数式を操作しているうちに自然法則がひとりでに見つかることは決してないことがわかります。それゆえ、ここで本書と対立することになる分野の、若干の研究者のかたは、不快感をもって反目なさるかもしれません。
 
(むこ)(かぜ)に立つことを(いと)わなければ、わたしは若い才能たちを、物理学の実り多い道へお誘いすることができると考えたのです。
 しかしながら、その新しい希望に満ちたものであるはずの方法が、いかに困難で障碍物に
(はば)まれるものであるかも、この本で扱われる事例から、予知されたいことをも述べています。決して暗いものではありません。しかし、苦難を背負って闘わざるをえません。それを克服して初めて輝かしい喜び、真の学問を達成した!という歓喜が訪れるでしょう。理学へ進まれる諸君はやむなく、偽りの牙城に置かれるにしろ、常に真理への理想を持ち続けてほしいと思います。若い力たちよ! あなたたちは真実を見抜くことによって、学問の真の自由を勝ち取られるでしょう。
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