光速の背景  37 次ページ

 第1章 輝かしい発見
 胸から湧きあがる疑問が新しい発見をもたらす
  1932年 中性子の発見 チャドウィック

 1930年、ジョリオ・キュリー夫妻は、ボーテとベッカーの実験を追試し、この線(放射線)を水とかパラフィンなど、水素を多く含む物質で満たした電離箱に導くと、多くのイオンが作られ、合わせて多くの陽子がとび出してくること、電離作用が異常に増大することを発見した。その理由として、もしこのベリリウム線のエネルギーが50メガ電子ボルトくらいになるなら、陽子を撥ね飛ばすこともありうることを計算で確認し、この線がγ線(のちに分かる中性子線)であると結論した。
 チャドウィック(James Chadwick 18911974英)はラザフォードの指導のもとに追試してみたところ、パラフィンから出てくるのが陽子であることを確認したが、どうして陽子だけがたたき出されるのか疑問をもった。しかも50メガ電子ボルトという大きいエネルギーを持つ陽子がベリリウムから出ているとは、とても考えられないことだった。ここでチャドウィックの脳裏にひらめいたのが、師ラザフォードが1920年の講演で述べた「原子は陽子とそれと同質量の中性の粒子から成る」という予想であった。このベリリウム線が実は陽子と同じほどの質量を持つ中性粒子(荷電していない粒子)であると考えれば、核や電子のクーロン力を全く受けず、それほど大きなエネルギーを持たなくても陽子を撥ね飛ばすことができるのではないか、それが1932年、チャドウィックにひらめいた中性子の発見であった。それまで陽子中心とされた原子核物理学は、大変革を余儀なくされた。


 超伝導体はさらに謎めいた現象をみせた
 1933年 マイスナー効果の発見 マイスナーとオクセンフェルト

 1911年、カメリン・オネスによって低温超伝導が発見されて以来、傑出した多彩な科学者たちがこの現象を理解するために膨大な努力を払ってきた。マイスナーやオクセンフェルトもその顔ぶれのなかにあった。
 1933年、W・マイスナー(Fritz Walther Meissner 18821974独)とその助手オクセンフェルト(R.Ochsenfeld 独)は、超伝導体は完全導体(電流に対して抵抗がない)であると同時に、完全反磁性体(外部からかけられる磁場に対向する)であることを発見した。磁場のなかに置かれた試料の内部から〝磁場が排除されて〟いたのである。はじめに試料をノーマル状態にしておいて磁場を加え、そのあとで超伝導状態になるまで冷却すると試料の内部から磁束が排除され、はじめに超伝導状態おいて、そのあと磁場をかけると、やはり磁束の排除がおこった。
 超伝導体のおこすさまざまな不思議な現象は、その後超伝導状態の本質が研究され、量子力学と同様、磁束の量子化が行なわれる。こうしてBCS理論へ導かれる。


 ――このころ世界史上大きな出来事があった――

1939~1945年、第二次世界大戦
 
連合国と枢軸国の二つの陣営で行われた史上二番目の世界大戦。ヨーロッパ戦線とアジア・太平洋戦線が主要な戦場だった。連合国とは、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)と戦った国家連合。
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