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第3章 発見は誰にもできる

 

 

  第3章 発見は誰にもできる

発見は謎に気付くことから始まる

 

 



《科学者は…例えば、古典物理学の根拠を覆したアインシュタインの革新的理論でさえ、エーテル・ドリフトの存在を発見しそこなったマイケルソンとモーリーの大いなる失敗が導火線になっているのです(『科学の運』)》
 上は1962年にワトソン、クリックとともにノーベル医学・生理学賞を受賞したモーリス・ウィルキンスが1988年に述べた言葉である。発言者が医学者なだけに、この事実にはいささか誤認がある。しかし諸君、何かに関わることから、新しい発見につながることがありうるのは事実であろう。われわれが自然の現れに興味をもち、それを研究する者にとって、何か新しいことを発見することができたとすれば無上の喜びにちがいない。発見はいかにして導かれるのだろうか。
 さきに数多く発見の実例を見た。それらは実に多彩な現われ方をしている。しかし、発見への運命は、はじめからこんなふうにと希望するわけにはゆかない。われわれの誰にでもできるオーソドックスな方法は、日々の研鑽努力にあるのは勿論のほか、いかに発見の幸運へ近づけるか、ではないだろうか。そうするために必要なことは、まず常に自然の現象を注視していることにまちがいはない。そこになにかの規則性を見、観察者(思索者)の思惟がはいる。
 思索者の思惟によって見出された、と思われる規則性が、まさしくそのとおりであることを確かめるための実験が必要になって、それを再現しようと試みる。そしてうまくゆけば法則の発見ということになるが、なかなか思うように行かないで、まったく別な思いがけない発見をするということがよくある。してみると、発見に至るには次の三つの要件、運と方法と悟性に恵まれることが必要なようである。
  それに関わる道に乗っている、という「運」。理数系、文化系といったように、人には向き不向きがあり、その向きで興味をもっていることであろう。その道に乗る時期も、早いに越したことはない。わたしの場合は遅かった例

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