印刷用    不定期便  第3号
不定期便 3号

普段物理学
   第1話 
        ――
09.9.5
 発行
010127

発行者
熊野宗治
  かかりますね? 水槽の奥行きが1メートルもなくて、10センチほどでも(その水量は0.1トンになる。図A)、0.5トンの力がかかるだろうかと訊いてみた。答えらしいものを説明嬢からは得られなかった。
 「どうなんですか?」と二才君の矛先は葦郎へ向く。あなたは理学者なんだから答える義務がある、と言わんばかりの顔をしている。
 それでさっそく、葦郎は寺崎に手紙を書いた。

 ――猛暑から、秋のけはいが感じられるようになりました。美味しいぶどうを、ありがとう。貴兄は高校生に現役で教えておいでですね? ちょっと、物理学の珍問ができたんです。
 宮崎の宮崎科学技術館に、大型実験装置がありましてね。いや、なに、これは大気圧をみせる実験で、いま言う珍問はこれと直接関係ないんですがね。
 パスカルの、水中の同じ深さならどこも、水の圧力は等しい、という法則がありますね。さっきのトリチェリーの実験水槽みたいな四角い水槽があって、側面の四角の横幅が1メートルだったとします。そこへ、深さが1メートルになるまで水を注いだとしましょう。

その側面を押しているのは幅1メートル、高さ1メートルということになって、その一面へかかる水の力は、平均して中心に0.5トンということになりますね?

 

ふだん物理学 
           ―
短編小説ふうに


1話 コップ一杯の水で壊れる?

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 半分は親のすね、残りはアルバイトで貯めた資金でもって、高校生は九州へ旅をした。夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくる“うらなり君”が左遷されたという宮崎だ。青田二才君が言うには、なるほど、宮崎というところはなにもない。何でもいいからと探してみたら、駅前に宮崎科学技術館というのをみつけた。
 「先生、そこにトリチェリーの真空をみせる大型実験装置がありましてね」
と二才君は言う。二才によれば、大きな水槽があって、その中に透明ででっかいパイプが突っ立ててある。
 めったに来ない客をみつけたものか、説明員らしい女性が近づいてきた。うら若い説明嬢は装置の実演実験を始めた。直径10センチくらいのパイプからしばらく空気を抜いたのち、その透明なパイプの中に、10メートル近くまで勢いよく水を噴立させた。説明嬢はこんなことが起こるのは「大気圧がタンクの水面を圧すからだ」と言って、どうだ、驚いたかという眼をした。

 二才君はついでに、かねがね疑問に思っていたことを彼女にぶつけてみた。
 側面の巾が1メートルの水槽に、深さ1メートルまで水を溜めてやると、――ちょうどこんなようにね(図B)――。その面には0.5トンの水圧が

 
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 ――ところで、パスカルの法則は深さだけにかかわり、奥行きは1メートルだろうと、10メートルだろうと、太平洋ほどであろうと、同じだというわけですね(A、B図)。そこで、奥行きdを調整できる壁(ピストンのようなもの(C図))を設けるとします。その奥行きをいくら動かしたって、0.5トンは変わりないことになりますね…? 仮に、水族館みたいに、側面、底面の5面を透明なアクリルの板を使った水槽だとしましょう。さっきから見ている幅1メートルの板を貼り付けている接着の耐力が0.5トン、つまり、やっと持ちこたえていて、あとちょっとで破壊するとします。

テキスト ボックス:  
 
C図

パスカルの法則が正しいならですね、奥行きはいくらでも構わないわけです。すると、可動壁を動かして奥行き5ミリまで迫ると、そのときの水量は1m×1m×0.005mで、これは5リットルということになります。さらに狭めて奥行きを2ミリにすれば、2リットル入りぺットボトル1本分、さらに0.2ミリまで薄くするとコップ1杯ほど。
  つまり、0.5トン耐力の壁を、たったコップ1杯の水で破壊することが出来ることになります。「そりゃ本当ですか?」と、ここの高校生が言うもんでね。これは正しいでしょうか?

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 寺崎四郎氏から返信がきた。彼は、水中の圧力pは、p=ρgh(密度×重力の加速度×水深)として、大気圧も考慮した回答をくれた。問題にすこし勘違いがあって、彼はある深さでの巾1メートルと小さい高さ⊿Hとのつくる細長い面、w×⊿Hにかかる圧力を計算してくれた。それに大気圧も加味してくれている。ほかに、「槽の奥行きを0.2ミリにまで薄くしたら、ほかに何ごとかが起こるのではないか」と添えてある。
 しかし、二才君が知りたいのは巾1メートル、深さ1メートルの水がその面に及ぼす力がほんとうに0.5トンにもなるか、というのである。葦郎は寺崎にもういちど手紙を書いて、その中でつぎのように自分なりの答案を吐露する。
 ――秋のけはいいよいよ強まり、このところすっかり涼しくなりましたな。いたずら問題に、ご回答をありがとう。
 さすがは四郎君、厳密な解で恐れ入りました。たしかに水深hでの水中の圧力pは、p=ρghで、ρが単位当り質量だとすると、その重力は地球上ではρg(gは重力加速度)とするのが厳密ですね。
 ところで、私が意図した問題の意味が、わたしの未熟な文章だけでは、やはり伝達し得なかったようです。
 200㏄入りコップ1杯の水を1㎡に広げると、厚み0.2ミリになります。 私の意味では、その0.2ミリというのは図のdのことを言ったつもりでした。
 ――こちらの高校生、二才君によりますとですね、この問題は、水害時の地下室でドアが外から水に押されている水圧のため、水が床からヒザの高さ(約50センチ)も溜まれば、もう逃げられない、ということに関連して想起したらしいのです。
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  じつは、この、わずかコップ1杯の水で水槽が破壊するという結論が、わたしの感覚にも、ぴたっとこなかったのですね。そこでこの問題は本当だろうか、という疑問を晴らすことなので、貴君の厳密論をもっと簡略にして、いまここで書くρを単位当り重量ということにしましょう。水の場合、ρ=1ton/m3 と考えることにします。それで、1リットルの水の重さを、1㎏重と言う代わりに「1㎏」とします。
 設問では、側面にかかる水圧を簡単に、最深部での単位水圧を2で割って平均水圧とし、これに側面積を乗じていくらとしましたが、正確には積分(深さごとに水圧を出して合計)、つまり、下に示すような計算をして求まるわけですね。

テキスト ボックス: P= ρhwdh
= (1/2)ρwh2 
=(1/2)ρwH2
=(1/2)ρH・wH=(1/2)ρHS
 (Sは側面積でS=wH)

それから、貴君に余計な苦労をかけないためには“大気圧は考慮しない”と但し書きをすべきでした。
 ――パスカルの法則によれば、水圧は深さだけにかかわるから、厚みdの値に関係なく、耐えるべき接着耐力Fは水圧を面積に乗じてF=P=(1/2)ρH・S(密度×深さ×面積の半分)になります。
 密度=1トン/m、深さ=1m、側面積S=w×H=1㎡とすれば、その力は0.5トンとなって正しいでしょうな。
 たったコップ1杯の水で、耐力0.5トンの水槽を破壊するのは「本当!」と答えるべきとなるわけです。

    へぇそうかい?てなわけで私は、これを実感するため、窓ガラスに水を押し付けてみましたさ。精密なピストンをこしらえるようなお金もないのでね!――

葦郎は実際、水を封じ込めるために透明なビニル袋(観賞魚など買うと、丈夫な長い袋に入れてくれる)を用い、D図のように袋に水を入れて(密封しないで)、ガラス窓に押し当て、それが見られるように別の透明なガラス板で圧してみた。鎖線がその袋である。


    D図           E図

葦郎がそれを圧して水の厚みを薄くすると、水位がそれだけ上がった。水位が上がると、たしかに相当な力が必要になることを実感したのだった。
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