図8
ただの鉄心の一部に磁荷をつくることができるのだ! 電池を外しても鉄には残留磁荷として磁気が残る。鉄という物質が磁荷をもつのである。磁性物質が存在してはじめて磁場が存在することを確かめることができた。
次に企てるのは、鉄など磁性体なる物質を使わなくても磁場がつくれることを確かめることだ。そこでこんどはトイレットペーパーの巻き芯――これは非鉄で、電磁的には無の空間と同じである――のようなパイプに図9のように、導線を巻きつける。 図9
そこへ電流を通すと磁界が生じ、磁針をその流れに向けさせるのをみる。
その磁場断面は図10のようであろう※。この磁場には、正真正銘、この磁場をつくっていると思われる磁性体なる物質は、どこにも存在しない。もっと疑り深い人のために、ペーパー芯を抜き去ってみせることもできよう。
図10
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まったくコイルが空間にあるだけで、磁界はそれを潜るように生じている。その様子として想像されることは、コイルの中心付近で磁場は大いに密集しているだろうことである。つまり、無の空間にも磁極が出現しうるということだ。
重力場をこの磁場に倣うなら、磁場における磁極は、重力場における質量にあたることになる。無なる空間に質量が存在する。以上の簡単な実験から、すなわち、質量と重力場は同一物である、と類推するわけだ。そんな場を、どんな粒子も、他の粒子たちに分け与えられるはずがない。
宇宙の果てはどこだ?とよく人は問う。この実験を援用して磁場という宇宙について言うなら、なにやら図10のような、納豆藁苞わらづとのような形をして、遠い周辺にまで広がっているものだ。その果てというのは、その磁場の影響が他のいかなる物質にも、いかなる場にも及ばないほど、微弱になったところで、その滅小とともにその世界は消える、そんなところだろう。
場の存在しない空間はその体積も寸法も意味がないし、存在しない。空間が「存在できない」というのではなく、空間は「存在しない」のだ。
宇宙の果ても同様、重力場が微弱になって、ついに何者にも影響しなくなった半径のところで、その重力場の宇宙は終わる。その重力場の原因物質である原因質量からその半径相当の距離、つまりおよそ球体として、その質量はその宇宙をもっているだろう。それより外側については長さも運動もないのだから、空間としての意味はない。
空間の意味をもち始めるのは、別なもう一つの質量がつくる宇宙が、互いに影響しあうことができるほど近づいたときに、二つはつながり、一つの宇宙になるのだろう。
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