光速の背景  11 次ページ

 第1章 輝かしい発見
 惑星が太陽の周りを回転していると仮定したら、惑星の逆行現象を簡単に説明できるのではないかと考えた。それはまた、金星と水星がなぜいつも太陽の近くにいるのか、そして惑星が明るくなったり暗くなったりするのはなぜなのかも明快に説明がついた。
 もっとも、自説を提唱する際コペルニクスは、古代ギリシャの考え方をすべて捨て去ったわけではなかった。彼は惑星を円と円の組み合わせによって描かれる軌道上を動くという古代ギリシャの捉え方には固執していたため、その点に関しては不必要な複雑さをそのまま残すことになってしまった。
 アリスタルコスと比べてコペルニクスの評価された点は、アリスタルコスの考えを使って実際に惑星の運動を計算し、複雑さを軽減し、天動説の『アルマゲスト』に対置される地動説天文学の体系を示したことである。
 ところが、当時キリスト教会は地球中心説を聖書の教えと合致すると考えていたため、コペルニクスは自説を仲間うちで回覧させただけであった。最終的には熱心な友人たちの説得にあい、出版を決意、その成果が『天体の回転について』と題する書物となって結実したものである。コペルニクスは教会の心証を害さないための配慮から、その本をローマ法王パウロ三世に献じ、そのまま亡くなった。コペルニクスが危惧したとおり、この本の出版は大きな騒ぎへと発展した。カトリック教会はこの本を禁書目録に載せ、信者に読むことを禁止した(禁止令が解かれるのは1835年になってからである)。
 『天体の回転について』はギリシャ天文学を根底から覆すものであったが、受け入れられるまでにはそれから50年の歳月を必要とした。というのも、一説では当時の天文学者は、十中八、九がコペルニクス説に反対であったという。天文学者の義務が、観測とよく合う幾何学的モデルを作ることであるとすれば、プトレマイオス流の周転円理論で十分であった。それは、中世ルネサンス天文学を経て、技術を累積させ、ずいぶんよく観測に合う理論スキームを作り上げていた。最近のコンピュータによれば、コペルニクスの体系よりプトレマイオスの天文学のほうがむしろ観測に合うという。なるほど観測と理論との一致が目的なら、周転円をうまく按配すれば観測結果にも合わせることができる。しかし、円をくっつけていくとますます醜悪な宇宙像になり、現実性が欠けてくる。そんなことよりも、もっとすっきりした宇宙像をつくる。それがコペルニクスの地動説であって、彼の美学であった。
 天文学者はやがてプトレマイオスを捨て、巨大な地球が一年かけて太陽の周りを回っているという事実を受け入れるようになるのである。こうしてコペルニクスの本は、科学革命と呼ばれる出来事の始まりを告げることになる。それは近代の人間が新しい方向に独自の歩みを進め、頂点を極めることもあり得ることを最終的に示したわけである。
 ところで注意すべきことは諸君、そういった頂点というものが、アリストテレスやプトレマイオスによって極められたのに似せて、一時期の蜃気楼のように現れることも、科学史の中でよく起こることを知っておく必要がある。それは近代においても起こった。その例の一つに、「相対論」をあげることを私ははばからない。


おかしなことが起こっているのには、きっとその原因がある
1600年 地球磁石説 ギルバート

 磁石の針はなぜ南北の方向をさすのか。16世紀の通俗科学書ライターであったカルダノやポルタらの説によると、北極星がひくからであった。イギリスの医者であったウィリアム・ギルバート(William Gilbert 15441603)はこれらの本を読んで興味をそそられ、地球磁石説を思いついた。
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