光速の背景  12 次ページ

 第1章 輝かしい発見
 ギルバートは“北極星が磁針をひく”という説が船乗りたちの経験に反することを知っていた。もし北極星が磁針をひくのだとしたら、北半球では磁針の北側が水平面より上をさし南側は下がらなければならない。船乗りたちによれば、事実は反対に磁針の北側が下に下がる傾向にあり、北に行くほどその傾向が大きくなるのである。
 そこでギルバートは伏角計というものを作り、ロンドンで調べた。磁針は北極星どころか、地上の北極よりも下のほうをさしてとまるのである。北極点では、北極星は天の真上に見える。磁針が北極星を指すのなら、針は真上を指すはずであるが実際には真下を指す。磁針は北極星がひっぱっているのでも、地球上の北極がひっぱっているのでもないわけである。
 ではなぜ磁石は北を向くのか。それは「地球そのものが磁石だから」にちがいない。ギルバートは早くからそう目星をつけていた。そこでかれは石の磁石を丸く削ってみた。世界各地を航海してきた船乗りたちから針の下がり方を聞いてみると、自分の実験とよく一致していた。コペルニクスは考えの中心を地球から太陽へ移したが、ギルバートは磁針の極を天から地球へ転換したといえよう。
 かれは多くの実験結果を1600年、一冊の本にまとめた。『磁石論』と略称される。その序文にこう書いている。
 ところで、なぜ私は、この高貴な哲学――その多くのことが、これまで知られなかったものであるために新奇で信じがたく見えるこのこの高貴な哲学をば、人々の目の前にさらさなければならないのでしょうか。すでに他人の意見、権威に従うことを誓っている人々や、すぐれた技術の不合理な破壊者たち、学問のある大ばかもの、言葉主義者、詭弁家、けんか好き、つむじまがりの小人、といった人たちの悪口によって、この高貴な哲学がずたずたにひきちぎられ呪われるかもしれないというのに、です。しかし私は、あなたがた、真に哲学しようとする人たち、知識を書物からではなく、ひたすら事物そのものから求めようとする正直な人たちだけにあてて、新しい哲学の仕方に従って、これからの磁気の原理をば書こうというのです。」

 ガリレオも、このギルバートの本を読んで感動したひとりであった。自由な視点の転換こそが新しい真理へ向かわせる転機となることを、ガリレオもまた学んだであろう。


厳格な解析とイマジネーションとが発見をもたらす
1604年 落下の法則の発見  ガリレオ

 ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 15641642伊)は18歳でピサ大学に職を得た。当時支配的であったアリストテレスのスコラ哲学には属していない。権威に縛られていなかったと言ってよいだろう。アリストテレスの運動学は「火、空気、水、土の四元素には一定の秩序がある」という考えから、落体の速さはその重さに比例し、媒体の密度に反比例するとしていた。実際、軽い羽毛は鉄球よりゆっくり落下し、鉄球の落下速度も密度の大きい水中では空気中よりも遅い。 ガリレオも、浮力の作用が空気にもあって、落体の速さは空気の密度の大小で決まると考えた。しかし実験をしてみると、玉の落下時間の差は密度の差に比べあまりにわずかであった。一方、アリストテレスが言う「投げられた石が手をはなれて飛び続けるのは、媒体である空気がおし続けるから」という説に6世紀のピロポノスは、「強風でも石や矢をそんなに飛ばすことができないのに、手や弓によって動かされた空気がどうして動かし続けることができるか」と反論している。また「10倍も重さに差がある二つの物体を落下させても、ほとんど同時に落ちる」と指摘している。
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