光速の背景  16 次ページ

 第1章 輝かしい発見
 観察からの結論
 1665年 光の回折 グリマルディ

 光に関する研究も進められていた。科学者たちはそれまでに天体観測や物の変化や植物の観察など、いろいろな対象物を観察によって研究してきた。観察には当然のように光を媒介として用いていた。人はあまりに当り前のように存在することには注意を向けてみることを忘れる。光とは何であるか、媒介してくれるその(ヽヽ)もの(ヽヽ)が、人には見えなかったからである。光が波なのか粒子なのかという問題はこのころから始まる。イタリアの物理学者グリマルディ(Francesco Maria Grimaldi 16181663)の実験は彼の死後1665年に出版された。グリマルディは、光線を前後に並べた二つのすき間を通し、白い紙の上に当ててみた、すると、紙の上にすき間よりもわずかに広い光の帯が現れることがわかった。すき間の縁でわずか外側へ曲がるからだと考え、“回折”と呼んだ。回折は光が波としての特徴をもつことを示唆した。光の波は小さな障害物でも反射され、回折の仕方もほんのわずかなことから、たとえ光が波から構成されているとしても、それは非常に小さな波の集まりということになる。ところが、こうしたグリマルディの研究をほとんど無視したままの状態で光の本質をめぐる論争は、その後一世紀にわたって続けられたのである。


 光の反応の仕方から光の性質が分ってくる
 1666年 光のスペクトル ニュートン

 ニュートン(Isaac Newton 16431727英)は、かれのあまりに有名な万有引力の法則の陰に隠れているが、非常に多くの、光の研究を行なった。光をプリズムに通し白壁に当てると、光の帯――曲がりの少ない方から赤、黄、緑、青、紫と連続的に色が移り変わっていた――が現れた。色はプリズムが作ったものであるかといえば、そうではなかった。二番目のプリズムを逆向きに置いて再び集めると白色光が現れることをニュートンは発見した。
 この実験によって、光に対する解釈の仕方が、全面的に改められることになる。色は光に固有な性質であり、白色光はそうしたいろいろな色が混じり合ったものであることを明らかにした。ニュートンの生年は、旧暦16421225日、新暦1643年14日である。


 幾何学から物理学へ
 1687年 万有引力の発見  ニュート

 身近な観察からでも大発見がある。1687年、アイザック・ニュートン(16431727英)は著書『プリンキピア』のなかで、ガリレオ、デカルト、ホイヘンスらの成果を進め、天体間の力が質量の積に比例し、距離の逆二乗に比例する万有引力であることを初めて示した。
 コペルニクスの地動説は、当時支配的だったアリストテレス流の「天体は自ら円運動を続けるが、地上では力の働くあいだ運動する」と考える自然学と両立せず、この問題が解決される必要があった。ケプラーは、太陽から出ている力によって惑星が回転していると考え、思索の末、ケプラーの三法則を見出した。ガリレオは地上の力学において、自由落下の等加速度
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