光速の背景  17 次ページ

 第1章 輝かしい発見
運動を明らかにした。イギリスのフック、ハリーらは、惑星を動かす力は距離の逆二乗に比例するという考えをもったが、楕円を導く計算はできなかった。
 ハリーは1684年8月、ケンブリッジの数学者ニュートンのもとへそのことを相談に訪れた。「力が逆二乗に従って物を引っぱるとすれば、その軌道はどんな形になるでしょうか」
すると、「楕円です」とニュートンは答えた。ニュートンが計算したのは18年も前のことで、当時流行っていたペストを避けてウィルソープのいなかに帰っていた。彼は地上で糸につけた玉を回転させるのと同じように月の運動を考え、遠心力に気がつく。この遠心力に逆らって月を引きとめている糸に代わるものは何なのか。そんなことを考え続けていたある日、庭のリンゴの木から実が一つ落ちた。これは地球の重力がリンゴを引っぱるからだ。すると、リンゴを引っぱっている地球が月も引いているのではないか。そうだとすると、地球からの距離に応じて引力の大きさはどう変化するのかを考えた。彼は距離の二乗に逆比例すると仮定して計算してみると、月に働く力と地球でリンゴを引く力とがよく合うことを確かめた。ニュートンがこれをすぐ発表しなかったことの理由がある。それは地球の重さがすべて重心にあると仮定してよいものか確信がなかったからである。それでよ((1))ことを確かめ、逆二乗であれば楕円軌道となることを証明し、リンゴの重力と月の引く力が同じであることを示した。
 万有引力の法則に対する反対論の一つは、“力”というものは自然の基本ではなく、運動こそが自然の基本であり、力は、衝突の結果によって生じる二次的なものだとする当時の考えからすれば、すべてに備わるという“万有引力”なるものは、古い神秘的なものへの逆行とさえ見えたのである。“万有引力”をさらに別のものから説明すべきだという考えを、ニュートンも持たなかったわけではない。
 フランスで力のあったデカルト派と、ニュートン派(1730年頃ニュートン力学が紹介された)との対立から地球の形状をめぐる論争となり、実測によってニュートン派が勝利する。以後、万有引力による天体力学が解析数学によって大きく進展する。こうして万有引力が、自然界の基本となる“力”であることが認められただけでなく、電磁力など18世紀以降の物理学の発展において一つのモデルとなった。
 運動を起こさせるものが何であるかにまで踏み込んだことは、それまでの幾何学から自然の法である物理学をはじめて確立したことを意味する。ニュートン力学の大きな意義はそこにあった。
 実際、万有引力が電磁力などのモデルとなる「場」の考え方への萌芽であるとみられる。現代の場の理論からさかのぼれば、重力が逆二乗に従うことを容易に思いついたであろう。科学史家は現代からさかのぼって史実を見ることができるが、当時の科学では未来のことはなにも知らないで進めている。その時代の考えが幼稚なものにみえても、その時代にとって、きっとそれが最も進歩的な考え方だったのだ。発見とは、発見されたのちの人たちが感じるよりもはるかに感動的で大きな出来事にちがいない。
 リンゴの実がおちてひらめいたというのは事実かという話がある。スタッフリーの『回想録』で描かれていることによれば、《(1726年4月15日)ディナーの後、庭に出て林檎の木々の蔭でお茶をいただきました。(ニュートン)卿とわたくしとだけでございました。…卿は申されました。昔、重力の考えが心に浮かんだときとまったく同じ具合だね。瞑想に沈んですわっていたとき、たまたま林檎が落ちてはっと思いついたんだよ。》(『世界の名著 ニュートン』)
 その『世界の名著 ニュートン』の責任編集、河辺六男氏は
「わたくしはこの話を荒唐無稽と一蹴しようなどとしているのではない
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