光速の背景  19 次ページ

 第1章 輝かしい発見
 名高い科学者による誤謬は正されにくい
 1772年  質量保存の法則 ラヴォアジェ

 史実によれば、1772年、レンズを使って太陽光を集((2))し、ダイヤモンドを燃焼させてそれが炭素そのものであることを確認したのがラヴォアジェ(AntoineLaurent Lavoisier 17431894フランス)の最初の功績である。続いて、燐や硫黄を燃焼させ、燃焼とか金属が錆びるのはフロジストンが逃げてなくなることではなく、酸素が結合することだ、という全く新しい考え方を導入し、今日の燃焼理論を確立した。それは、それまで燃焼とは、ギリシャ語で「炎」の意味を持つこのフロジストンが旋回運動をしながら逃げ出す現象である、とする18世紀初頭以来、定説となっていた古典的燃焼理論を完全に打ち破るものであった。さらにかれは、自分の理論を発展させ、化学変化の前後で物質全体の質量は減りも増えもしない、単にその姿を変えるだけという「質量保存の法則」を発見し、近代化学発展の礎をつくった。
 一方では1780年の『化学入門』や1789年の『化学要論』のなかでは、熱を元素の一つとしてカロリックと呼び、元素の一覧表に加えた。これがラヴォアジェの名声によって長い間信じられた。それはニュートンの光の粒子説がニュートンの名声よって約一世紀にわたって信じられたのに似ている。
 実のところは、ニュートンもボイルやベルヌーイらとともに、熱は分子の運動だとする考えを一世紀も前からもっていたがラヴォアジェの権威から脱出するには1798年のランフォード(17531814英)の論文まで待たねばならなかった。ランフォードは、熱は運動の一種であるとする熱運動論を提唱したのだが、まだラヴォアジェの流れをくむ人たちに潰される状況にあった。なにはともあれ、そのような権威をもった立場にある人が、確信ありげに間違ったことを決定したり強要したりすると、それは是正されないまま長い年月を過ごしてしまうことがある。   

註2 「高価なダイヤモンドを買ってきて、太陽光を集光して燃やした」というのは事実だろうか? 透明なダイヤモンドが太陽光から熱を吸収して高温になっただろうか? たしかに、イギリスの化学者テナント(Smithson Tennant 1761~1815)は1797年、ダイヤモンドを酸素の封入された容器の中で燃やし、その後に炭酸ガスだけが残ったことを確かめ、ダイヤモンドが炭素からなることを明らかにしてはいる。  



――そのころ、フランス革命――

 フランス革命は18世紀末、封建的な旧制度に代わって、近代的な市民社会(ブルジョア社会)をもたらした革命である。だがこの革命は、ブルジョアジーの力だけでなく、民衆や農民の強力な介入を得て達成された点に大きな特徴がある。民主主義革命として徹底したもので、民衆運動や農民運動が強力に展開したことは、単にフランスにデモクラシーの伝統を残しただけでなく、19世紀以後の世界に大きな影響を及ぼした。
 1774年、ルイ十六世が即位したころから、王国の財政は窮迫し始めた。それは宮廷に寄食している貴族への年金や対外出費(アメリカ独立戦争への援助など)によるもので、平民への課税は限界に達し、特権身分への課税を含む財政改革をせざるを得なくなった。貴族たちはこうした改革案にあくまでも反対。絶対王政は貴族の抵抗に直面し、それまで君臨

        19 次ページ