光速の背景  20 次ページ

 第1章 輝かしい発見
してきた王権が1787年、麻痺し始める。

財政改革では、特権身分に有利な運営に反対する第三身分が対立。1789年、代議員の選挙が始まると、第三身分で有力なブルジョアジーは政治的ヘゲモニーを目指して全国的な運動を展開、農民らは各地で蜂起して領主の館を攻撃し始める。国王と貴族は第三身分を武力で屈服させようとして軍隊を集結し始めたので、広範な民衆と農民とが実力をもって革命に介入することになる。同714日、パリ民衆はバスチーユを占領。議会は84日、封建制度の廃止を宣言する。826日、人権宣言。1791年9月、フランス初の憲法制定。立憲君主制が樹立されたが、国民の参政権は非常に制限された。
 反革命派の貴族は国外に亡命し、オーストリアやプロイセンの援助のもと、革命の打倒を画策。国王ルイ十六世一家も1791年、ひそかに国外逃亡を企てる。反革命を支持するオーストリアやプロイセンとフランスとの間で緊張が始まり1792年、開戦。それを契機に立憲君主制は崩壊に向かう。全国から参集した義勇兵とパリ民衆とは810日ついに王位をくつがえす。1793年1月、ルイ十六世が処刑されることによって態度を硬化させたオーストリアなどとの戦争状態に入る。


 ――――  ――――

 ただ一つのことに拘ったために真理を見落した
  1793年 電流の発見  ヴォルタ

 生物学者ガルヴァーニ(Luighi Galvani 17371798イタリア)もライデン瓶をもっていた。蛙のふくらはぎの筋肉を金属製の柱に吊るしていた。そのそばにあったライデン瓶を放電させ、電気火花が発したとき、蛙の筋肉がぴくぴくと収縮するのをガルヴァーニは見た。放電中に、板に伸ばした筋肉に金属メスでふれたときにも、同じ収縮を見た。それは死んだ蛙の筋肉であった。筋肉は空気中の放電からなにか影響を受けているとガルバーニは感じとっていた。「象牙の柄の部分を手で持っていたときは、電気火花が発生しても動かなかったが、金属製の刃や刃の止め釘を持ったときには運動を起こした」と、1792年の彼の論文で述べている。
 雷のなる日、蛙の筋肉を真鍮のかぎで吊るし、窓際の鉄格子に固定しておいたところ、稲光りのたびに筋肉は収縮した。雷の日でなくとも、真鍮のかぎと鉄格子が同時に筋肉に触れる瞬間にもおなじ痙攣をガルヴァーニは見たのである。それをかれは電気が筋肉の内部で発生しているからだ、と解釈し、生物電気と呼んで電気の起源はカエルの足の筋肉にあると発表した。それからしばらく、ガルヴァーニ電気と呼ばれるようになる。
 起電機の放電から筋肉の収縮が起こることと、筋肉の収縮が電気を起こすと考えることからは、結果によって起こったはずの筋肉収縮が発電するというガルヴァーニの結論には明らかに因果転倒の矛盾がある。ヴォルタ(Alessandro Giuseppe Volta 17451827イタリア)はそのころ物理学教授となっていた。ガルヴァーニから情報を得たヴォルタはその矛盾にすぐ気がついたであろう、1793年、電気は異種金属の接((3))によって起こるものであって、カエルの足は単なる導電体にすぎない、という結論に達した。研究過程はガルヴァーニによって作られたものだったが、生物学者であるガルヴァーニと物理学者であるヴォルタとではその終着点が異なったのだ。ガルヴァーニは生物の側に固執しすぎた。ヴォルタはこの研究成果から、1795年、二つの異種金属の間に液体あるいは湿った布を置くと電気が作り出されるという研究を公開して、

        20 次ページ