光速の背景  21 次ページ

 第1章 輝かしい発見
最初の電池モデルに成功し、1800年には電解液に真鍮棒と亜鉛棒を浸し導線でつなぐと電気が流れることを見出し、これはボルタの電池の最初であった。電気を連続的な流れとして取り出した栄誉は、その実験を始めたガルヴァーニではなく、その現象を客観的に正しく捉えたヴォルタの上に輝いた。たいがいの科学史の書で二人をそのように比較されている。ただ一つのことに拘ったために真理を見過ごしてしまったのはガルヴァーニだった、と。 

註3 異種金属の接触によって起電するものに熱電対があるが、これは熱電対の両端で大きな温度差を必要とする。二つの金属の接触とは鈎(真鍮)を鉄格子に引っ掛けたことであろう。乾燥季に、手でドアノブに触れようとして火花が飛ぶことがある。これは起電機が起こす静電気とおなじく、ノブと手のもつ違った電気量のために起こる放電である。おそらく、これが原因だっただろう。これは異種金属でなくても起こる。ヴォルタ電池は、金属のイオン化傾向の大小による、電解液での電子の移動によって発生するもので、静電気による起電とはまったく別である。ヴォルタが示したのはこのことである。起電機の放電や雷による筋肉の収縮は、それらによる電磁波の“受信”によるであろう。


 謎に気づく
 1814年 スペクトル線 フラウンホーファー

 光の吸収スペクトルはドイツの物理学者、フラウンホーファー(Joseph von Fraunhofer 17871826)によって発見された。狭いスリットを通した太陽光をプリズムで分散させてみると、無数の暗線がスリットを切り込んだように現れ、非常に狭い波長域に対応していた。その波長の光が届いていないことになる。スペクトルの暗い線の領域がさえぎられているわけだ。ニュートンが実験を行なったときにも見えていたはずだが、プリズムの欠陥かスリットが広すぎたためぼやけて見えなくなったものと思われる。
 フラウンホーファーは性能のよいプリズムを使ったおかげで600本の暗線を数えた。光が太陽から来たものも月や惑星に反射されてきたものも暗線は常にスペクトルの同じ位置を占めることを示した。この発見では、なぜそこのスペクトルが消えているのか、という謎に気づいたことが重要なことだった。狭い波長域とは特定の振動数であることも意味する。これは未来のプランク仮説に関わってくるだろう。暗線の発見は当初人々の関心を集めず、これが化学や天文学の研究にとって強力な武器となるのはそれから半世紀後のことである。


 ――このころ、産業革命――

 イギリスでは封建的諸関係がいちはやく解体し、農村を中心に自成的な産業が国民的規模で展開しえた。1617世紀には初期的な資本主義の成立をみたが、さらにイギリス革命によって資本主義的発展を阻害していた絶対主義的王権を打倒し、航海条令を制定して国内の産業を保護し、諸外国との抗争に勝って海外進出の基礎を築くことに成功した。F・ベーコン以来の経験主義的伝統は、王政復古後の王立科学院に継承され、科学的知識を人間に役立つ具体的な生産技術と結びつける努力が行なわれた。 一方、機械制大工場の成立は農民の土地からの追放を前提としていた。17世紀以来クローバーやカブなど新作物が導入され、家畜の飼料とし
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