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第1章 輝かしい発見
家を建て、家には投弾(土製品の狩猟用具)を備え、壁に動物の群を描いている。土器に人の顔や幾何学模様が描かれている。
 紀元前5000年頃のメキシコ南部、テワカン谷の人々がトウモロコシの栽培を始めていた。小集団に分かれて移動するグループは、石のナイフや槍先、植物で編んだカゴ、石臼や石杵など持ち運んで、狩猟や採集をくり返していた。

 前4500年頃のメソポタミア南部では煉瓦による建築技法をもって、エリドゥの神殿を建て、祭殿と供物台が設置されていた。テル・アバダ村の首長の家には、流通する物資の数量を記録するトークン(小さな粘土製)がたくさん集められていた。ウルク南方に、町と村落からなる都市化の兆候が現れる。同3100年頃になると運河がつくられ、神殿と城壁をもつ都市国家、ウルクほかが現れる。神殿は巨大化し、交易が発展する。出土した陶製板に当時の風習らしいものが描かれている。
 前3000年頃、エジプトでは初期王朝時代にあり、ヒエログリフ(聖刻文字)が用いられるようになり、太陽暦の使用が始まる。ナイル川の増水の長年にわたる観測から、増水開始から次の増水まで経験的に365日が割り出され、1年を365日とする民衆暦も生まれた。
 前2600年頃のイラク(シュメール)では書記学校が整備され、神名を集めたその、ある教科書(ファラ文字による)には神格化されてギルガメシュが登場する。「ギルガメシュ叙事詩」の主人公である。現存する「叙事詩」はアッカド語版の12枚の粘土書板が基礎になっているという。

 同1750年頃、バビロニアを統一したハムラピが、“目には目を”の「ハムラピ法典」を発布する。法典は楔形文字(アッカド語)で書かれている。
 同1400年頃パレスチナのカナンでアルファベットのもととなる文字体系が完成する。

 紀元前800年頃、イタリア中部の土地に初期鉄器文化の墳墓が形成され、ヴィラノーヴァ文化と呼ばれる。のちエトルリア文明の中心都市となって、前750年頃最盛期を迎える。エトルリア文明は、高度の冶金技術やカルタゴなどとの交易に特徴がある。
 紀元前750年頃のギリシャでは独立の政治単位が続々と誕生し、山岳が多いギリシャ地形のあいだに散在している。それぞれ自治権を主張し、外部の何者にも臣従の義務を負わないというもので、人員も数百から数千の市民からなる。こうした国家形態がポリスと呼ばれる独自の都市国家で、ギリシャの壮大な文化を築きあげる基盤となる。王と代表者会議と成員全員からなる全体集会のもつ力が大きくなり、直接、市民が政治に参加する傾向が強まる。
 前621年、ドラコンがアテネで最初の成文法を制定する。これはのちのアリストテレスによる「アテナイ人の国制」の伝承から知られる。彼はドラコンが制定した法について、「刑罰の重さによる苛酷さのほかには、なんら記憶に値する独特なものはない」と記しているだけである。また、プルタルコスは、「ほとんどすべての罪人に対して死刑というただ一つの刑罰が定められていた」と記している。
 前585年の5月28日ミレトスの哲学者タレスがこの日の日食を予言した、と歴史家のヘロドトスが伝える。タレスは星を観察しているうちに溝に落ちてしまった。「足元さえよう見えなさらんのに、天上にあるものを知ることができますもんか?」と、お伴の老女は笑ったそうな。
 ディオゲネスの『ギリシャ哲学者列伝』によれば、アナクシメネスがピュタゴラスへあてた手紙があって、「エクサミュアスの子タレスは…あの方はいつもの習慣どおり、下女を伴って夜間に家を出て、星を観察しておられました。
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